今日は祝日(体育の日)でしたが、多くの大学では講義をおこなったのではないでしょうか。こんなことはほんのひと昔前にはありえないことでした。どうしてこうしたおかしな事態に陥ってしまったのか、とくに、日頃は威勢良く国家や公権力を批判している人たちがなぜ反対しなかったのかと、訝しく思います。
大人が少年少女や若者たちに与えることのできるのは、お金とヒマくらいのものでしょう。この国は、お金(奨学金)は与えてこなかった代わりに、とくに大学生にはヒマだけは与えてきました。ですが、もうそれすらも叶わなくなったようです。就職活動もますます早期化および低学年化しており、何の余裕もありません。
グローバリゼーションのなかで国家間の競争が増していくなか、日本のとくに既得権をもつ人ほど、いわば「再富国強兵化」を進めたがっているように感じます。追いつき追い越せまでは言わないものの、せめて追い抜かれるな、あるいは置いてけぼりになるな、という焦りです。
折しもノーベル化学賞を日本人2人が受賞しましたが、中長期的なスパンで見た場合、現在の状況を考えれば、お得意の自然科学分野ですら、日本の先行きは暗いでしょう。じっさいいくつかのメディアでもそういう論調を見かけます。
ただ、注意しなければなりません。いかなる権威ある賞も、研究の目的ではなく結果でしょう。これを取り違えて、どこかしら国威発揚のための自己目的と化しがちなのは、近隣諸国にも同様の傾向が見えますが、後発近代国家の日本らしいと感じます。オリンピックやワールドカップのプチナショナリズムは批判するのに、このあたりには鈍感な人が多いように思います。
ただ、わたしも研究者の端くれですから、科学という人間活動が眼の前でしぼんでいくこと自体にはやりきれなさを感じています。良い研究を欲するなら、学生にも教員にも、せめて祝日くらい休みにしてもよいのではないでしょうか。時間の使い方を拘束するのは逆効果としか思えません。
近代化の経緯を考えれば、日本もいつまでも「技術大国」、つまり技術的合理性だけを誇り続けることが必ずしも良いは思えないとはいえ、では、技術的ではないその合理性のレベルがどうかと言えば、国民国家的に時間をしばるこうしたおかしな趨勢はもとより、どこまでも輸入学問として形成されてきた人文科学や社会科学が、今日に至るまでたいして国際的な舞台で業績を残していないのを見れば、それほどの程度にないのは明白です。その反動のためか今度は「外国語で書いた」「外国語で発表した」ということだけで評価されてしまう近頃の惨状です。
ふと、現象学の祖であるエドムント・フッサールの言葉を思い出しました。彼はある手紙のなかで次のように書いています(加藤精司『フッサール』より)。
……たしかに私は世間と州政府に一生懸命注目する野心的な私講師ではなかった。そうした人であれば多くのものをしばしば出版するでしょう。そうした人は自分の問題と方法に流行の影響を受け入れることでしょう。そうして影響力のある有名人たち(ヴント、ズィクヴァルト、エルトマンなど)について出来るだけ学ぶでしょう。そしてかれらと根本的に矛盾することに特別に注意を向けることはないでしょう。私はこれと全く正反対のことをしました。それですから私は14年間<私講師>に留まったことも、また私が学部の希望に逆らって、ただの<助教授>としてゲッチンゲンに来たことも驚くにあたらないのです。9年間、私は実際に何も出版しなかったし、私は大方の有力な人たちを敵にまわしました。後の方は、私は自分の問題を自分で選び、自分自身の道を行ったという事実によってそうなのです。さらに私は事象(Sache)の考察以外のいかなる考察も、私の批判の中に入ることを許しませんでした。ところで私はこの道を、止むにやまれぬ必要性から歩んだのです。事象そのものが、私に別のようにさせないほどの威力をもっていました――外に対しての独立ともっと幅広い個人的影響の機会をもてるような慎ましい地位への切望にもかかわらずです。私と私の家族にとっては、つらい時でした。私は自分が耐えねばならなかったことを想い起こすとき、私は決して事象のために生きなかったこれらの登山家たちと一緒にされることを好みません。私はかれらの代わりに、ひとり苦しむに任せましたし、それだからこそ私はかれらにあるのは見せかけの成功と尊敬だと言うことができるのです。(1905年1月1日)
フッサールを支持する人たち、あるいはそうでない人たちも含めて、人文科学や社会科学の研究者たちで、表面上の装いとは別に、真に事象(ザッへ)に仕えて生きている人はどれくらいいるのでしょうか。私がとやかく言うことではないですが、異様すぎる競争に晒されて、ますます多くの研究者が、平等や自由や公正などといった表向きのインテリゲンチャらしい言説とは裏腹に、見せかけの成功と尊敬を自己目的的に求めて汲々としているように思えてなりません。
何でもそつなく手早くこなす小利口さではなく、フッサールのような愚鈍な亀の歩みが、偉大な研究を生むことがあるという事実を、われわれは心に留め置く必要があるのです。
大人が少年少女や若者たちに与えることのできるのは、お金とヒマくらいのものでしょう。この国は、お金(奨学金)は与えてこなかった代わりに、とくに大学生にはヒマだけは与えてきました。ですが、もうそれすらも叶わなくなったようです。就職活動もますます早期化および低学年化しており、何の余裕もありません。
グローバリゼーションのなかで国家間の競争が増していくなか、日本のとくに既得権をもつ人ほど、いわば「再富国強兵化」を進めたがっているように感じます。追いつき追い越せまでは言わないものの、せめて追い抜かれるな、あるいは置いてけぼりになるな、という焦りです。
折しもノーベル化学賞を日本人2人が受賞しましたが、中長期的なスパンで見た場合、現在の状況を考えれば、お得意の自然科学分野ですら、日本の先行きは暗いでしょう。じっさいいくつかのメディアでもそういう論調を見かけます。
ただ、注意しなければなりません。いかなる権威ある賞も、研究の目的ではなく結果でしょう。これを取り違えて、どこかしら国威発揚のための自己目的と化しがちなのは、近隣諸国にも同様の傾向が見えますが、後発近代国家の日本らしいと感じます。オリンピックやワールドカップのプチナショナリズムは批判するのに、このあたりには鈍感な人が多いように思います。
ただ、わたしも研究者の端くれですから、科学という人間活動が眼の前でしぼんでいくこと自体にはやりきれなさを感じています。良い研究を欲するなら、学生にも教員にも、せめて祝日くらい休みにしてもよいのではないでしょうか。時間の使い方を拘束するのは逆効果としか思えません。
近代化の経緯を考えれば、日本もいつまでも「技術大国」、つまり技術的合理性だけを誇り続けることが必ずしも良いは思えないとはいえ、では、技術的ではないその合理性のレベルがどうかと言えば、国民国家的に時間をしばるこうしたおかしな趨勢はもとより、どこまでも輸入学問として形成されてきた人文科学や社会科学が、今日に至るまでたいして国際的な舞台で業績を残していないのを見れば、それほどの程度にないのは明白です。その反動のためか今度は「外国語で書いた」「外国語で発表した」ということだけで評価されてしまう近頃の惨状です。
ふと、現象学の祖であるエドムント・フッサールの言葉を思い出しました。彼はある手紙のなかで次のように書いています(加藤精司『フッサール』より)。
……たしかに私は世間と州政府に一生懸命注目する野心的な私講師ではなかった。そうした人であれば多くのものをしばしば出版するでしょう。そうした人は自分の問題と方法に流行の影響を受け入れることでしょう。そうして影響力のある有名人たち(ヴント、ズィクヴァルト、エルトマンなど)について出来るだけ学ぶでしょう。そしてかれらと根本的に矛盾することに特別に注意を向けることはないでしょう。私はこれと全く正反対のことをしました。それですから私は14年間<私講師>に留まったことも、また私が学部の希望に逆らって、ただの<助教授>としてゲッチンゲンに来たことも驚くにあたらないのです。9年間、私は実際に何も出版しなかったし、私は大方の有力な人たちを敵にまわしました。後の方は、私は自分の問題を自分で選び、自分自身の道を行ったという事実によってそうなのです。さらに私は事象(Sache)の考察以外のいかなる考察も、私の批判の中に入ることを許しませんでした。ところで私はこの道を、止むにやまれぬ必要性から歩んだのです。事象そのものが、私に別のようにさせないほどの威力をもっていました――外に対しての独立ともっと幅広い個人的影響の機会をもてるような慎ましい地位への切望にもかかわらずです。私と私の家族にとっては、つらい時でした。私は自分が耐えねばならなかったことを想い起こすとき、私は決して事象のために生きなかったこれらの登山家たちと一緒にされることを好みません。私はかれらの代わりに、ひとり苦しむに任せましたし、それだからこそ私はかれらにあるのは見せかけの成功と尊敬だと言うことができるのです。(1905年1月1日)
フッサールを支持する人たち、あるいはそうでない人たちも含めて、人文科学や社会科学の研究者たちで、表面上の装いとは別に、真に事象(ザッへ)に仕えて生きている人はどれくらいいるのでしょうか。私がとやかく言うことではないですが、異様すぎる競争に晒されて、ますます多くの研究者が、平等や自由や公正などといった表向きのインテリゲンチャらしい言説とは裏腹に、見せかけの成功と尊敬を自己目的的に求めて汲々としているように思えてなりません。
何でもそつなく手早くこなす小利口さではなく、フッサールのような愚鈍な亀の歩みが、偉大な研究を生むことがあるという事実を、われわれは心に留め置く必要があるのです。