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またまた解題シリーズです。
本棚を整理していたら、森毅『魔術から数学へ』が出てきたのでパラパラとめくっていたのですが、その末尾、村上陽一郎「解説に代えて」が目にとまりました。専門性に拘泥しない、大胆で新鮮で生き生きした発想はいかにして生まれ育つか、という一文です。それによれば条件は次の5つ。


1)その分野のなかで既存の蓄積されたデータとデータのあいだの隙間を埋めることに力点を置かない。隙間があってもそのあいだをデータにこだわらずに架橋すること。

2)読まなくてもよいと直観の教える資料は大胆に省略すること。

3)信頼が置けると思われる二次資料はじゅうぶんに活用する。逆に、権威あるものとして専門家世界では評価が定まっている二次資料でも、こだわらずに取捨選択すること。

4)普通は専門家が直接関連がない(イリリヴァント)だとして手を出さない、当該領域外の分野にまで視野をつねに広くとり、柔軟なスタンスに立って深い奥行きと幅広い見通しを持つこと。

5)資料のなかに現れる人間に自分の血肉を分け与えること。


科学史家の村上は、本来は数学者である(したがって科学史の門外漢である)森のこの科学史的著作を肯定的に評価して上のようなことを述べたわけですが、もちろん村上自身が言うように、たんなるホラになることなくそれらの条件を満たすのは存外に難しいものです。当該分野の専門家にすら難しい。村上は、むしろ専門性に埋没して決められたレールのうえをただひたすら前へ前へと歩きつづけるだけのほうがはるかにラクだと言っていますが、そのとおりでしょう。

学問の世界でも、人文・社会科学系のとくに思想や理論のかかった分野では、専門家たちのなかでもホラ派かレール派かに大別されるように見えます。これに対して、本当に傑出した仕事というのは、ホラではないのに大胆で、かつレールに乗っていないのに厳密だという、この絶妙なバランスのうえに成立しているものです。そしてそれが可能になるのは、個人的資質はもとより、周囲の環境や雰囲気によるところもかなり大きいと思います。大胆な思考を許容しない環境や、逆に厳密さとは縁遠い適当すぎる雰囲気では、本当に素晴らしいものは生まれません。

だとすると、いまの社会学の世界はそうした傑出した仕事を生み出すような環境かどうかというのは、社会学者たち自身が一考すべき問題です。社会学者であればなおさらのこと、価値ある科学的業績の生まれる社会的な背景や条件には気を配るべきなのですから。


  
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