前々回に続いて、大塚久雄の「創造の過程と成果」という講演での言葉を、書き留めておきたいと思います(大塚久雄『国民経済』(講談社学術文庫)末尾の中村勝巳「解題」より)。


「中心にどんな偉い研究者がいるにしても、結局自分の仲間だけで通用するような隠語みたいな用語ばかりで話すこと」になり、「その隠語を周辺の人々に押しつけ、それを皆で宣伝するというようなことをやりますと、一見学問の隆盛であるかのような印象を与えますが、これはおそらく似て非なるもので、やがて衰退が訪れるにちがいないと思います。とにかくそう意味で、学問的創造を促すにはさまざまな専門、異なった学説をもった人々がグループを作るのがよい、というのが私の考えです」

「しかし、私は、やはりそこにはなお限界があるように思います。それは、学問における創造、いや、およそ創造的行為は、……すぐれて個人的な性質をもっているからです。個人の内面は深い底をもっており、その奥底で経験されるあの苦しみと深く結びついているからです。ですから、学問的創造を促進するためのグループなり組織なりは、その内部で個人の自由を十二分に許容するようなものでなければならないでしょう。蚕に糸をはかせるようなやり方ではとうてい成功しえないと思います」


一見隆盛しているように見える学問上のグループや組織や集団が、知識社会学的にじっさいにはどういう構造になっているのか調べてみるのは面白いかもしれません。そしてその未来も。

いずれにせよ、職業として学問にたずさわるかぎり、蚕に糸をはかせる側にも、蚕として糸をはかせられる側にも、なってはならないと感じています。


  
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