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2018年に刊行したマックス・ヴェーバーに関する拙稿がオープンアクセスになりました。

Tada, Mitsuhiro, 2018, "Language, Ethnicity, and the Nation-State: On Max Weber’s Conception of 'Imagined Linguistic Community,'" Theory and Society, 47(2): 437-466.
https://link.springer.com/article/10.1007/s11186-018-9321-y


どうぞご笑覧ください。
なおご参考まで、DeepL による要約の日本語を以下に付しておきます。
訳文のみをパッ見て若干だけ手を入れましたが、細かいチェックはしていませんので、仮の仮の仮訳ということでご承知おきください。


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要約:社会学理論における方法論的ナショナリズムは、現在のグローバル化時代にそぐわないものであり、破棄されるべきである。この主張を踏まえ、本稿では、国民社会の枠組みを相対化する方法としてマックス・ヴェーバーの言語観について論じる。1960年代以降の社会学における「言語論的転回」は、言語の共有――言語的共同体――が意味を理解するための相互主観性の基盤として成り立つと仮定しているが、ヴェーバーは言語共同体を構築されたものと見なしていた。彼の合理主義的・主観主義的・個人主義的観点からすれば、言語共同体は社会的行為の結果であり、ドイツの形而上学的有機主義(および歴史主義的全体主義)が想定するような先行的な存在ではない。実際、ヴェーバーの時代の中欧は言語的ナショナリズムの戦場であった。冷戦時代の国民社会とは対照的に、国境は不安定であり、最終的にこの地域の多民族帝国は第一次世界大戦後に解体され、エスノ言語的ナショナリズムの諸国家となった。こうした同時代の現実を体験していたヴェーバーは、言語と政治の関係の核心に迫った。すなわち言語共同体とは、言語そのものによってではなく、部外者に対する意識的な反発によって区分された想像上のものであり、言語標準化や国民教育といった同質化政策によって人為的に作られた国境内の単一言語的なコンテクストである――言語の第一の近代である。このようにして言語は支配の手段となりうるとヴェーバーは考えたのだった。



  
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