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 ティモシー・スナイダー『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告(上・下)』(池田年穂訳・慶應義塾大学出版会)に、とても印象的な言葉があったので、備忘録的に記しておく。第二次世界大戦のときに命懸けでユダヤ人を助けた人たちに対する、「善の凡庸さ」という言葉である。

「たとえユダヤ人が、自分たちが救助された理由についてほとんど語っていないにしても、進んで話してくれるという点では、救助者〔ユダヤ人を助けた人たち〕の方がさらに望み薄であった。彼ら救助者は、自分のしたことを語りたがらないのが普通だった。〔中略〕『ユダヤ人を救った人間はたくさんいました。そしていつでもそのことを口にするわけではないのです』。これまたそのとおりだった。ユダヤ人を救助しなかった人々の方が救助したと言い張り、実際にユダヤ人を救助した人々は、しばしば黙したままだった。いったん口を開いたときにも、救助者にはある種特別な謙虚さ、動機については今にも口を噤んでしまおうとする気後れが、傾向として間違いなく存在した。そもそも救助者が実際に何かを話すと、たいがいは面白くも何ともない。ためらいためらい話す点では、性差、階級、言語、民族、世代を超えて一貫している『善の凡庸さ』ゆえだ」(『ブラックアース(下)』157-158)。

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 同書「訳者あとがき」によれば、この「善の凡庸さ」という言葉は、ユダヤ人救助者ジョルジョ・ペルラスカ(1910-1992) の伝記のタイトルと同じだそうである。スナイダーはおそらくそこからこの言葉を取ってきたのだろう。いずれにせよ、個人的には、ハンナ・アーレントの有名なフレーズ「悪の凡庸さ」よりも実感として理解できる表現ではある。本当に骨身を削って他の人を助けていたり、辛い目に遭ってもじっと堪えたりしている人たちの、 それを特別視せず「当たり前」のこととして受け止めるという、私には及びもつかない謙虚さや慎ましさを、これまで何度も目にしてきたし、また、実際に私自身、何度もそういう人たちに助けられてきた。

 これに対し、とかく自分のことを言ってまわっ たり、キレイゴトを並べ立てたり、ひるがえってやたら他人を批判したり、あるいは、自分の都合で他の人が誰かを批判するようそれとなく仕向けたり貶めたりする人というも、他方で多く目にしてきた。謙虚さや慎ましさからほど遠く、自分を特別視するこれらのタイプの人たちは、大学業界でもよく見かけるが、こういう人というのは、何よりもまず自分自身を心から欺ける人であるように思う。いわゆるダニング・クルーガー効果の一種だろう。言行不一致の甚だしさ、とくに、自分のことは棚に上げ、また、棚に上げていること自体を認識しないという点に、大きな特徴があるように思う。

 いずれにせよ、そういうある種の「声の大きな人」や「躊躇なく公の場でキレイゴトを(本質的には自分のプレゼンスや利益のために)語る人」は、真っ先に自分を騙しており、記憶までも自分に都合よく改ざんし、それを心底信じて語るので、周りもその欺瞞やウソを認識しづらく、残念ながらついその人の言うことを信じてしまいがちである。あるいは、たとえ欺瞞やウソのにおいを直感的に感じ取っても、多くのばあいで確証があるわけではないため指摘しづらく、相手を信じていることにせざるをえなくなりがちであ る。

 だが、冷静に考えれば、まともな感性の持ち主ほど、そのまともさゆえに自分の功績や被害を黙して語らず、せいぜいでも控えめに語るだけ、というのは真理だろう。語るべきこと、主張すべきことのすべてに口をつぐめと言っているのではまったくない。そうではなく、自分自身を騙すタイプの人の語りには、決して騙されてならないし、ましてや自分自身がそういう人にならぬよう注意しなければならないと、あらためて自戒を込めて思うということである。スナイダーの次の言は正しいだろう。

たぶん、我々は将来の災厄の何かに遭遇したら救助者になることを想像していよう。けれど、国家が破壊され、地元の組織が崩壊し、経済的な誘因が殺害へと向かわせるときに、我々のなかで立派に振る舞える者はほとんどいまい。我々が1930年代、1940年代のヨーロッパ人にくらべて道徳的に優れているとか、ついでにいえば、ヒトラーがあれほどうまうまと普及させ実現させた考えに対し付けいれられる隙が少ない、などと考える理由はまずなかろう」(『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告(下)』167)。

 前期のゼミの最終回では、第二次世界大戦前のドイツの経済状況とヒトラーの政策について、本を読んで学んだが、そのとき学生たちが「自分も当時ドイツにいたらナチスを支持したかもしれない」と言っていたのを聞いて、この人たちはむしろ大丈夫だろうと思った。危ないのは、自分を客観視する能力がなく、「もし自分がその人の立場や境遇だったらどうか」という、他者に対する想像力が欠けていて、自分を高みにおいて口先で何かや誰かを断罪するような人であろう。

 「悪の凡庸さ」は、自分を特別視するそういう人に宿っているように思う。



  
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