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このたび刊行の、西村大志・松浦雄介編『映画は社会学する』(法律文化社)に、ウルリヒ・ベックの「リスク社会」概念に関する解説論文を書きました。

映画(邦画)を題材してさまざまな社会学理論を解説するというコンセプトの本書(各項目の一覧はこちら)、わたしはベックのリスク社会論を素描するにあたって、『ホームレス中学生』と『闇の子供たち』の2本を選びました。参考までに、拙稿の目次は次のようになります。

1.リスク社会としての現代日本
 ■はじめに
 ■普通から漏れ落ちる:『ホームレス中学生』
 ■1990年代の日本社会

2.再帰的近代化と個人化の時代
 ■ベックの近代化論
 ■第二の近代の逆説
 ■裕少年のその後

3.ナショナリズムからコスモポリタニズムへ
 ■グローバル化のなかで漏れ落ちる:『闇の子供たち』
 ■リスクはチャンスか


さて、ベックのリスク社会論というと、チェルノブイリ原発事故の同年に刊行された彼の出世作 Risikogesellschaft(邦訳『危険社会』)のこともあり、まずは原発や放射能のリスクを思い浮かべる人が社会学者でも多いと思いますが、拙論では、あえてそれらに関連する映画(たとえば『ゴジラ』『ナウシカ』『太陽を盗んだ男』等々)は避けました。

その種の映画について触れたものとしては、福島原発事故以降だけでも、たとえば赤坂憲雄『ゴジラとナウシカ――海の彼方より訪れしものたち』や、山本昭宏『核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』のような、優れた著作がすでにありましたし、核や原子力についての議論は、ベックのリスク社会論のあくまでも一部分にすぎないという思いがあったためです(ただ結果的に、原発関連映画に留まらず邦画史上でも屈指の名作である、というか個人的に好きな、『東京原発』に触れられなかったのは心残りでしたが)。

で、肝心の拙稿の中身については、ぜひお買い求めのうえご確認いただければと願う次第ですが、いずれにせよ、ベックのリスク社会論を主題的に論じた解説書や解説論文は、まだほとんど存在していないと思います(わたしが知らないだけかもしれませんが)。

その意味では、拙稿の責任は決して小さくなく、中身がどのように評価されるか、多少緊張もしています。ただ、今回のこの小論は、社会学を多少なりとも本気で学ぼうという初学者が、少し頑張れば飛び越えられるような高さのハードルにするとともに、それだけでなく、プロの社会学者にも面白いと感じてもらえて、かつ、れっきとした研究業績としてリファーしてもらえるものにしようと考えて書いたつもりです。たんに概念に映画を当てはめるというだけではなく、日本と世界のリアリティを、実感とともに伝えられるものにしようと試行錯誤しました。

そのために、たとえば通常は「再帰性」と訳される "reflexivity" という用語に、あえて「反射・反転作用」という、ちょっと不格好な翻訳をつけました。じつのところわたしは、ベックの再帰性という概念が、日本の研究業界でちゃんと理解を伴って使用されているのか、少し疑わしく感じています。とはいえわたし自身も、今回の自分の解釈が正しいか、何とも言えません。ですが、初学者とプロ社会学者の双方に向けて、ひとつのありうる解釈を提示したつもりです。

また本稿では、大阪万博のスローガンである「人類の進歩と調和」との関連で、文脈によっては「進歩」概念をある程度楽観的に捉えています。ベック本人は進歩概念については否定的だったように思いますし、そもそも太陽の塔の作者である岡本太郎も然りです。ですから二人には怒られるかもしれませんが、「進歩的」知識人ほど進歩概念を批判するという逆説については議論の余地があると思っています。進歩にもいろいろあるはずです。

あと、紙幅の都合上、ベックのリスク社会論のすべてに触れることができたわけではないことは、断っておかざるをえません。たとえば、サブポリティックスやコスモポリタン社会がもたらしうるネガティブな効果や帰結、あるいは「偽のコスモポリタニズム」などについては、ベック自身も指摘していますから、彼の著作を直接にあたりつつ、読者の方々が各人で考えてほしいと思います。

関連してさらに付け加えると、じつは当初、編者の先生方からは、ニクラス・ルーマンのリスク概念についても触れてほしいとご要望をいただいていました。が、これまた紙幅の都合上、どうしても盛り込みきれませんでした。結果、「リスク」概念そのものについては本稿ではあえて詳しく説明しないという決断を、著者のわたしの責任で下しました。本稿はあくまで「リスク社会」についての解説であり、一種の導入論文です。ですから、そこからさらに進んでリスクの概念そのものについて考えてみたい人は、たとえばニクラス・ルーマン『リスクの社会学』、小松丈晃『リスク論のルーマン』、ピーター・バーンスタイン『リスク』などに、ぜひ当たってみてほしいと思います。


それにしても今回の執筆を振り返って、『ホームレス中学生』の舞台である大阪府吹田市山田地区をフィールドワークしたのは、たいへん有意義でした。十分な下調べのうえで、最寄り駅からバスで現地に向かいましたが、郊外感の溢れるその風景のなか、丘陵をのぼっていく途中で、ポツリポツリとかつての農村の名残であろう家屋や蔵が見えました。それだけでも、『ホームレス中学生』の舞台がどのようなところか、あらためて少し理解が深まりました。

そして、当該作品の著者にして主人公である田村裕さんが、夏場の「ホームレス」生活での暑さをしのぐために日中入り浸っていたという現地の小さな公共図書館で、郷土史の資料を閲覧できたことが、今回の拙稿を書き上げるにあたって決定的な最後の一ピースとなりました。すなわち、この山田地区がかつてどのような風景の土地で、それがどのようにして団地の建ち並ぶ場所として開発されていったのかを知ることができ、それがベックの近代化論にピッタリと収まったのでした。

しかも、あの大阪万博も、まさにこの山田地区で開催された(千里ニュータウンではありません)ということも、それらの郷土史の資料から知ることができました。そこには、「大阪万博は有名になったけれども、それがこの山田地区で開催されたことはほとんど世間に知られることはなかった」といった趣旨の記述があり、少し物悲しさを誘いました。なお、『映画は社会学する』巻末の参考文献一覧でも挙げましたが、とくに活用させていただいた郷土史資料は、次の二点です。

1)山田自治会郷土史編纂委員会編,2001,『山田郷土史「山田のあゆみ」』.
2)山田下自治会編,1993,『山田下自治会のあゆみ』.

お断りしておくと、田村さんの住んでいた山田地区に関する以上の知識は、吉見俊哉さんの有名な著作『万博と戦後日本』によるものではまったくなく、むしろ地域の図書館の片隅に眠る、決して一般には出回らないであろういわば「埋もれた資料」(失礼な言い方をどうぞご寛恕ください)によるものです。運良くそれらを発掘できたことで、ある地域の戦後の急激な変遷、そして、その地域を舞台にした有名作品の背景にまで今回切り込むことができたのは、本当に嬉しく思っています。そして、そうした郷土史資料を作成した方々の想いを、今回の拙稿を通じて、一般の読者の方々につなぐことができたのも。

このようなわけで、理論的研究であっても現地に行けるのであれば行くべきだと、あらためて教訓として胸に刻みました。机にしがみついてただ本を読むだけ、あるいはネットで衒学趣味的なそれっぽい発言をただ撒き散らすだけでは、世界の深さに到達することは決してできないと思います。

ちなみに拙稿ではもう一つ、タイを舞台にした『闇の子供たち』という映画も取り上げましたが、それにあたり実際にタイ(およびラオスとミャンマー)にも赴きました。到着したのが、多数の死者を出したバンコクでの爆弾テロから4日目、しかも依然として犯人も捕まっていないという状況で、少し怖さもありましたが、やはり現地に行ったことで分かったことも多々ありました。

また、あの「悪名高い」ゴールデントライアングルにまがりなりにも足を踏み入れたことや、メコン川を2日かけてボートで下り、変化の著しいラオス社会を見ることができたのも、大いに収穫でした。何より、道中、本当に多くの方々との出会いもありました。おひとりずつお名前を挙げることはできませんが、現地の人びと、各国からの旅人たち、そして、かの地で支援やボランティアをする日本の方たちには、本当にいろいろなことを見聞きさせていただきました。この場を借りて深く御礼を申し上げたいと思います。

また、現地在住の友人I・Tさん、そして万に一つの確率でばったり再会したK・Aちゃんにも、本当にお世話になりました。とりわけI・Tさんには、普通の観光客ではとうてい立ち入れないようなところにもアテンドしていただき、タイ社会の裏側を深く知ることができました。記して心より感謝を申し上げたいと思います。


そして、ウルリヒ・ベックその人についても、触れておかなければなりません。

ちょうど2年前のISA横浜大会にて、さる先生のはからいで、ベックご本人と2回会食する機会があり、その大らかで、かつ真摯な人柄に、お世辞抜きでたいへんな感銘を受けました。世界的に高名な社会学者であるにもかかわらず、誰とでも分け隔てなくお話してくださる方であり、どんな初歩的な質問にも真剣かつ丁寧に、対等な研究者目線で答えてくれたのが、とても印象的です。権威主義的なところをまったく感じさせない方でした。さらに、ご多忙を極めていたはずなのに、そんなそぶりすらまったく見せず、とても人付き合いのよい方で、これにも驚きました。2回の会食のうち1回は、ベックご本人、上記の先生、ヨーロッパで活躍していたアジアの社会学者、のここまではいいとして、最後は日本の一介の無名社会学者である私、という4人。そんな場に自分がいてよいのかと内心恐縮しましたが、飾らない人柄のベックは、普通にお喋りしながらいっしょに食事をし、食事後もお喋りに興じて、ご本人ニコニコと、握手で別れました。

そのISAの横浜大会後は、たしかそのまま韓国に立ち寄ってお仕事があるとおっしゃっていたように思います。いずれにせよ、精力的なお仕事ぶりに加えて、私のようなものにまで時間を割いてくださるわけですから、体力的に大丈夫かなとうっすら思っていたところ、その約半年後に突如亡くなられて、ショックでした。

このようなこともあり、今回の拙稿は、故人への追悼の気持ちで書きました。リスク社会というテーマ、そしてベックの業績については、わたしは決して専門的な研究者とは言えず、もっと詳しい方が他にたくさんいらっしゃるので、当初、そのお仕事をわたしがお引き受けしてよいのか、逡巡するところも正直ありました。が、結果的に故人から受けた恩義に少しでも報いる機会となり、本当によかったと思っています。

今回の拙稿を、故ウルリヒ・ベック氏に捧げたいと思います。

また最後に、今回の拙稿の執筆機会を与えて下さった、『映画は社会学する』編著者の西村大志先生と松浦雄介先生、ならびに諸々お手数をおかけした法律文化社の掛川様に、この場を借りて心から御礼を申し上げます。


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