先日の朝日新聞日曜版『GLOBE』が、「笑いの力」と題する特集を組んでいた。どの記事も面白かったが、なかでも筆頭の次の記事がたいへん目を引いた。

極限状態、それでも笑った/サラエボ―ベオグラード
http://globe.asahi.com/feature/article/2016020400004.html

とくに同記事の後半「笑いで独裁者をぶっとばせ」で紹介されている、セルビアの学生団体「オトポール!」による反政府キャンペーンは秀逸で、当時の大統領スロボダン・ミロシェヴィッチの似顔絵を貼り付けたドラム缶を、ベオグラードの街中に設置(放置)、道行く一般市民が小銭を投入し、一緒に置かれた棍棒でそれをひっぱたくというもの。警察が駆けつけるも誰も逮捕するわけにはいかず、まるで『ミロシェヴィッチ逮捕劇』さながらに、やむを得ずそのドラム缶をパトカーに積んで帰ったのだという。

この学生団体のその後の紆余曲折はさておき、ユーモアによるそうした非暴力運動は、laughter と activism を合成して laughtivism と呼ぶんだそうである。直訳すると「お笑い主義」とか「笑い飛ばし主義」とかになるのだろうか。どうもすぐには良い訳語が思いつかず、我が身の知的貧困ぶりを申し訳なく思うばかり。ただいずれにせよ、おそらく日本語では定訳はまだ存在していないと思う。正確に言うと、そもそも概念としてまだほとんど知られていないのではなかろうか。恥ずかしながらわたしは今回初めて知った。

そして、概念不在の状況が示唆するとおり、そうしたユーモアにもとづく政治活動は、ジャパニーズ・デモクラシーでは、一部例外(たとえば一部の「泡沫」候補の人たち)を除いて、体制派にも反体制派にも往々にして欠けている要素だという気がする。だから、政治運動はいつもみなまなじりを決してばかりで、結果、ヒロイズムやナルシシズム、さもなければ内ゲバに終わってしまい、そのために「普通」の人たちから政治運動は忌避されたり嘲笑されたりするのではないだろうか。政治意識の高低よりも、ユーモア能力の高低についての議論が必要な気がする(運動に関わっている人たちをくさすつもりはまったくないけども)。

昨年の反安保運動などでは、SEALDsなど若い学生たちの新しい活動で、運動のかたちがずいぶんと変わったし、人々の耳目を引くようにもなった。あとはひとつ、せっかくなのでユーモアも取り入れてほしいなと勝手に思う。「○○ヤメロ」の連呼だけで現実を動かすことは少し難しいし、下手すれば世論から余計な反発を受けて、相手方の延命に手を貸すことになるかもしれない。

ちなみに上の「オトポール!」、大規模集会ではなくそうした「お笑い」活動(?)を全国各地で展開することにより、3年間でメンバー数を7万人にまで増やしたという。しかも平均年齢はじつに21歳。これが、政治に無関心の同世代の足を投票所に向けさせ、野党候補の勝利をもたらし、最終的にミロシェヴィッチを退陣に追い込んだのだそうだ。

同記事によると、この学生団体の当時のリーダーであるスルジャ・ポポビッチは、次のように述べているという。「ユーモアに対してまともに反応したら権力者側は馬鹿に映る。反応しなかったら弱虫になる。どっちに転んでも敵に不利なんだ」。

ユーモア溢れる闘いは、多くの人の関心を惹きやすいし、何よりも強い。
ただでさえギスギスした昨今の日本社会。愚にも付かないような正論を吐いて、個人的感情や個人的利益のために同調圧力を強いる人たちが少なくないだけに、なおさらユーモアや笑いがほしいと思う。

以上、またしても何のユーモアもなく、たいへん申しわけない。


  
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