ゆえあって、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加させていただきました。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p002242.html
式典の模様などはすでに報道されているのでここでは書きませんが、個人的に印象的だったのは、大学生くらいの若い世代で、いろいろ思うところあってひとりで各地から来たという人に、けっこう出会ったことでした。また、たまたま出会った被爆一世の方が、辛くなるので式典はもちろん平和公園付近にも近寄らない、とおっしゃっていたのが心に残りました。
一般的に言って、原爆と聞くと、世界初の投下都市である広島のほうが印象が強い方が多いと思いますが、長崎のほうは「世界最後の被爆地」にするという点にアイデンティティの力点があると言えます(1983年『長崎平和宣言』も参照)。これもまた大変な重い十字架であり、70年間に渡ってそれを背負われてきた長崎市民の方々のこれまでの道のりがいかほどのものであったか、察するに余りあります。
それと、久しぶりに長崎に来て思ったのは、ここが中世以来、大変なコスモポリタン都市であったこと。一時は長崎の人口6万人中1万人が中国人であったことや、ポルトガル人やオランダ人も隔離前は普通に市街に住んでいたことなど、たいへん面白い街です。近代化以降も外国への玄関口でしたが(長崎~東京間が電車で36時間の時代、長崎~上海間は船で26時間だったそうです)、それだけに、強制連行された中国人や朝鮮人も原爆の犠牲者になるなど暗い側面もあります。また、明治期になって認められるまで弾圧のなかを何代にも渡って密かに信仰を維持し続けた日本人キリスト教徒も多い場所であり、こうした、日本史上で特異と言ってもいいような街に原爆が投下されたことの意味は、考えるものがあります。
こうしたこともすべて含めての、長崎の「被爆70周年」なのだろうと思います。
まもなく8月15日、戦後70周年の終戦記念日。長崎市では「精霊流し」が行われます。
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