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この6月27日~29日にかけてイタリアのトレント大学で開催された国際社会学会・社会学理論部会の中間会議に出席し、「パーソンズのフッサール――分析的実在主義と現象学」というタイトルで、下記のとおり報告をしてきました。

Tada, Mitsuhiro, 2012, “Edmund Husserl in Talcott Parsons: Analytical Realism and Phenomenology,” International Sociological Association, RC16 Mid-term Conference: Cultures and Civilization in the Contemporary World (Trento University, Italy, June 27-29).

社会学の理論研究における「通説」に真っ向から挑む主張の報告であり、かつゴリゴリの抽象的な議論であったので、何の前置きもなくいきなり国際的なコンテクストに投げ込んで理解してもらえるか多少の心配がありましたが、聴衆からは好意的に受け止めてもらえました。とりわけ、わたしが個人的にその仕事に注目していた然るべき人物から、論証内容の正しさを強く支持してもらえたのは、大きな励みになりました。

さて、自分の報告に関して以外にも、大会全体を通じて他のセッションに参加したり、報告者とお喋りをしたりするなかで、いろいろなことが分かりました。日本とは、たしかに報告スタイルなどで諸々の違いはありますけれども、研究の状況そのものは大きくは変わりません。そうした意味では、抽象度の高い理論研究は、日本発でむしろ積極的に世界の研究のコンテクストを作っていけるのではないかという気もします。

そう思うと、日本国内でこれまでなされてきた研究できわめて高い水準にある仕事が、日本語でしか読めないために国際的には存在しないに等しいままという状況は、明らかな損失と言わざるを得ません。これはつねづね残念に感じていたことであり、何とかならないものかとあらためて思います。

国内でしか通用しなそうな衒学趣味的で肩書き頼みの仕事はさておくとして、これまで日本でなされてきたまっとうな仕事を英語に翻訳するなどして世界に発信していくという作業がなされないものかと心底思います。過去に日本語でしか書かれていないからといって、それをそのまま国内で死蔵してしまうのは、日本人研究者にとってだけでなく、社会学の世界的な研究水準の発展にとって大きな損失のはずです。

というわけで、昨今よくあるような、なんだかお金を取ってくるためだけにテーマをぶちあげたような研究であるとか、あるいは、国際化の名のもとに英語で書いたり話したり集まったりすることを自己目的化したような仕事に多額のお金を傾注するよりは、これまですでに国内でなされてきた価値ある確かな仕事を英語化(望むらくは多言語化)することに予算を割いたほうが、安上がりで、かつ日本からの研究発信という点での寄与ははるかに大きいように思います。

そんなことをあらためて思ったイタリア滞在でした。

  
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