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東日本大震災から1年が経ちました。
昨年のこの日は、わたし自身にとって、本来なら静かに人生の節目のひとつを迎えるはずの日でした。それが突然の大地震と原発事故によって、劇的な状況の渦中に身を置くことになり、一生忘れられない日となりました。そして、それにまつわる闘いにおいて、たくさんの人びとに支えられたことも、決して忘れることはできません。

その後、あいかわらず多くの人に助けられながら、いくつかの転機を迎えることになりました。震災からの1年が、まるまる自分の人生のターニングポイントと重なっていると言っても過言ではありません。

余震がつづき原発事故が収束しないなかで書き上げた博士論文『社会的世界の時間構成』の終章は、「社会学の未来によせて――分裂の理論」というタイトルでした。内容について詳述はしませんが、日本全体の連帯に期待する雰囲気がそこはかとなく漂うなか、残念ながらわたしは、むしろこれまで以上に分裂が進むし、それゆえ社会学者はそうした分裂をいっそう可視化していかなくてはならないと、あらためて意を強くしていました。

中途半端な政治談義・思想談議に身を委ね、そして、分かりやすい敵を見つけて批判することで仲間意識とアイデンティティを確保する、というスタイルからは何も出てこないでしょう。少なくともわたしは、粛々と自分の本分を尽くしたいと思っています。

どさくさに紛れて著作を2つ紹介(書評ではなく)しておきます。

【1】清水晋作,2011,『公共知識人ダニエル・ベル――新保守主義とアメリカ社会学』勁草書房.
公共知識人ダニエル・ベル―新保守主義とアメリカ社会学公共知識人ダニエル・ベル―新保守主義とアメリカ社会学
(2011/03)
清水 晋作

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70年代後半から現在に至るまで強い影響力をもった新保守主義の特質とイデオロギーの影響力の源を突き止めるという問題意識のもと、その思想形成の一端を担ったとされるアメリカの社会学者たち、とりわけダニエル・ベルに注目した著作です。自分は安全圏にいて外側から新保守主義を批判するというよくあるパターンからは距離を置き、本当に新保守主義を問題化するなら内在的な分析が不可欠との著者の姿勢には強く共感できます。逝去前のダニエル・ベル本人にもインタビューを敢行しており、この分野では世界的にも草分け的な著作だと思います。

なお、著者はわたしと同い年の社会学者で、岩手県在住。
このご著作は2011年3月刊行で、震災時、ご本人と連絡がつかないのにこの御本がわたしのところに送られてきて仰天したのを覚えています。


【2】鶴見太郎,2012,『ロシア・シオニズムの想像力――ユダヤ人・帝国・パレスチナ』東京大学出版会.
ロシア・シオニズムの想像力: ユダヤ人・帝国・パレスチナロシア・シオニズムの想像力: ユダヤ人・帝国・パレスチナ
(2012/01/24)
鶴見 太郎

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われわれが誰でも知っている(と思い込んでいる)シオニズムへの見方の転換を迫る著作。
とくに問われているのは、ディアスポラのユダヤ政治をパレスチナへの入植の準備段階とするのではなく、逆にパレスチナのほうがディアスポラのユダヤ社会にとって持っていた意味と可能性であり、また、シオニズムの源流と目されるユダヤ人の集合意識の変容です。このために著者は、とくにロシア帝国内の、パレスチナに行かなかったシオニストたちの主観的なコンテクストに光を当てているのですが、この「パレスチナに行かなかったシオニスト」という存在は、多くの研究者にとって盲点でしょう。

なお本書は第1回東京大学南原繁記念出版賞受賞作。
著者はまだ30歳に満たないにもかかわらず、ロシア語・ヘブライ語の原資料を駆使し、トータル500頁ほどに及ぶ本書のもととなる博士論文を書き上げました。本書もやはり国際的な水準にあるのは間違いありません。


と、上記の御本を著者のおふたりからそれぞれ頂戴して以来、ここに書評めいたことを書くことでせめてものお返しとさせていただこうと思っていたのですが、どう書こうかあれこれ考えた結果、わたしには書評の才が欠如していると確信しました。なので、遅ればせながらで本当に申し訳ないのですが、紹介にとどめさせていただきました。

ですがそれというのは、どちらの著作もわたしがしたり顔で書評できるようなレベルをはるかに超えた水準だからだということは、お世辞抜きで強調しておきたいと思います。今後、それぞれの分野で長く参照されつづけるであろう業績です。

わたし自身も、彼らに並べるような仕事をしたいと強く願う次第です。
昨年の4月にここに引用したニーチェの言葉を再掲しておきます。

孤独を学ぶ。――おお諸君、世界政策の大都会に住むあわれなやつよ。諸君、若くして才能に恵まれ、名誉心に苦しめられている人々よ。諸君はあらゆる出来事に――いつも何かしら起こるのだが――一言するのを義務と心得ている! 諸君は、こういう風にして埃を立てて騒げば、歴史の車になると信じている! 諸君は、いつも耳をすまし、いつも一言投げ入れることのできる機会をねらっているから、真の生産力をすっかりなくす! よしんば諸君がどんなに大事業を切望しようとも、懐妊の深い寡黙はけっして諸君のもとに来はしない! 時代の出来事が、諸君をもみ殻のように追ってゆく。諸君のほうが出来事を追っているつもりだのに! ――あわれなやつよ! ――舞台で主役を勤めようとするなら、合唱することを考えてはならない。それどころか、合唱のやり方すら知っていてはならない。
ニーチェ『曙光』第177節より

  
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