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いまさらですが、あけましておめでとうございます。
新年があけてすでに1ヶ月、いろいろ書きたいことはありますが、まずは日本や世界の人びとにとって、今年が穏やかで笑顔のある1年になってほしいと祈るばかりです。

面白い記事を2点見つけたので、備忘録的に下記に記しておきます。


【1】震災後の日本社会と若者(1~4) 小熊英二×古市憲寿
http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html
わたしがここで内容を要約したり紹介したりするよりも、読んでいただいたほうが早いです。
小熊氏はやはり圧巻で、科学に対する捉え方はわたしもすごく同意しますし(個人的に強調したいのですが社会学は科学です)、なにより人生論というか研究者論というか、そういった面での思慮もとても深く、しかもそうした伝わりにくいものを的確に言語化されていて、すごいのひとことです。


【2】「人は静かに狂っていく」 芥川賞作家・円城塔さんがポスドク問題を語る
http://b.hatena.ne.jp/articles/201201/7289

この方が芥川賞を受賞されて経歴を見たときに、われわれ世代の研究者は、ある種の感慨というか何というか、そんな感情にとらわれた方は少なくなかったのではないでしょうか。あ、このひと、ポスドクだったんだ、と。上のリンク先から辿って読めるそんな円城氏のエッセイ原文「ポスドクからポストポスドクへ」は、ひねったタイトルといい、さすが読ませる文章です。

上の対談のテーマにもなった古市憲寿氏の話題作『絶望の国の幸福な若者たち』に引っかけて、『絶望の国の不幸な若手研究者たち』とでも呼び換えることのできるかもしれないこのエッセイ。内容はやはり一見にしかずなので、めいめいでご覧いただくとして、それとともにすごいなと思ったのは、末尾の紹介文に「専門は法螺吹き」と書いたこうした毒のある文章を学会誌に掲載した日本物理学会の太っ腹であり、そしてさらにすごいなと思ったのは、よくよく誌面を見るとこの日本物理学会、すでに数年前から学会誌でポスドク問題について取り上げ、しかもそれをリレー連載化していたことです。

日本の物理学界がどういう業界かはわたしは知りませんし(円城氏の書きっぷりを見るときっとそれなりに不公正なことはいろいろあるのでしょう)、また、円城氏以外の方がこの連載にどのような内容・論調の寄稿をされているかも知らないのですが、それはともかくとして、では格差や貧困の問題について見識高く、日頃から連帯やコミュニティの重要性を訴える我らが社会学者たちはどうか、あるいは、正義や公正、平等や自由などを訴える哲学思想のような近隣領域はどうか、という感を禁じ得ません。

専門分野によっていろいろ違いはあるはずですし、またポスドク問題についてはさまざまな意見があってよいとは思いますが、少なくとも社会問題に敏感であるべき社会学者がこの件について口が重いのは、遠くの問題に意気盛んすぎて灯台もと暗しなのか、それとも何か触れたくない後ろめたさや既得権益があるのか、いずれにせよ、やや奇妙なことのようには思えます。そして現実には、対外的には自己責任論を批判している人たちが、自分の周囲半径1~2メートルくらいではこの上ない自己責任論者であるということは、管見のかぎり決して少なくありません。

円城氏のエッセイの最後に書かれている「正々堂々、現況の公募に臨まれては如何だろうか」という提案は、いまもしすべての研究者で、しかも現在の地位で得られた実績や人間関係はすべてナシにして試すことが可能なら、とても愉快でしょう。ですが円城氏は次のように続けています。「まあ相互にポストを融通しあうとか茶番に終わるに違いない」。

学問の未来が問われている、そういう時期にわれわれがいるのは間違いなく、新年早々ではありますが、残された時間はもうそう多くはありません。

  
コメント

さすが、円城塔のこのエッセイを発見されていましたか。自然科学に属する物理学ですら若手研究者が苦境に置かれているということは、いわんや社会科学や人文科学をや、ってところでしょうか。

わたしは「私は人類に敵対する」という表現にぐっときましたね。これからscience, Wissenschaft, 科学=学問に携わろうとする者の基本的立脚点は「人類への敵対」というのは、シニカルですが鋭いでしょう。ここでいう「人類」というのは、もはや「人間」と呼べるのかどうか。哲学的には否ですが、現実的には大肯定されるでしょう。こんにちではもはや非人間的であることが人間の条件であるとわたしは確信しています。だから学問に携わることは、必然的に人類に敵対するわけです。学問は人類を幸せになんかしっこないし、人類を幸せにしようとする学問は、それは学問ではなくて産業や商業といったような技術に属するもの、あるいは技術において追求されうる知識でしょう。

かくて日本の大学は変質していくのでしょう。「死ぬ」とは言いません。アカデミズムは若手研究者、つまり将来の大学教師を育成できないので、自分でどうにかして生き延びた者だけをようやく雇用しています。かくて大学教員はテレビやマスコミで稼げる「タレント」が枠を占めるようになる。場合によっては経済界・産業界と癒着した「御用学者」もまた跋扈するようになる。

こうした見方にもかかわらず、わたしは大学の変質をどうにかしたいとは思っていません。これがアカデミズムにたいする人類からの要請なのです。わたしはただ、こうした業界は真っ平御免とは思いますが。アカデミズムが今すぐわたしを雇って大卒程度の初任給をくれるならしがみつこうとは思いますが、そうではないなら、別にこの雇用先にこだわる必要は何らないなって感じです。

ちなみに日本物理学会の「ポスドク問題」は以下のページにまとまっています。わたしもあとで読んでみようと思っています。
http://www.ph-career.org/data/publications.html
---------- Ende [ 編集] URL . 01/25, 07:14 -----
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