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現下のコロナ危機により、授業支援の一環として、シュプリンガー社の学術誌から公刊されている以下の既刊拙稿2本も、無料公開されているようです(7月末まで)。ダウンロード可。ご関心がおありの方は、この機会にぜひご笑覧ください。

1)Tada, Mitsuhiro, 2018, "Language, Ethnicity, and the Nation-State: On Max Weber’s Conception of 'Imagined Linguistic Community,'” Theory and Society, 47(4): 437–466.
https://link.springer.com/journal/11186/47/4

2) Tada, Mitsuhiro, 2013, "Edmund Husserl in Talcott Parsons: Analytical Realism and Phenomenology," Human Studies, 36(3): 357–374.
https://link.springer.com/journal/10746/36/3/page/1


コロナ渦で、日本の社会や政治ついていろいろと考えることも言いたいこともたくさんありますが、それはともかく、拙稿 “Language and imagined Gesellschaft: Émile Durkheim’s civil-linguistic nationalism and the consequences of universal human ideals”が、まずはオンラインファーストで刊行されました。以下から閲覧およびダウンロードが可能です。

https://link.springer.com/article/10.1007/s11186-020-09394-1
https://rdcu.be/b3XcG (PDF)

掲載誌は Theory and Society 誌です。
マックス・ヴェーバーの言語観に関する前回の論文 “Language, ethnicity, and the nation-state: on Max Weber’s conception of “imagined linguistic community”” に続き、ふたたび同誌に掲載していただけました。(ちなみに現象学的社会学者のトーマス・ルックマンの言語観については次の拙稿があります。"From Religin to Language: The Time of National Society and the Notion of the "Shared" in Sociological Theory".)

本稿は、エミール・デュルケムの言語観を、詳細なテキスト分析とともに、彼が生きた第三共和国の教育政策と言語政策から浮かび上がらせました。彼が言語を社会的事実として扱ったことはそれなりに知られていますが、その具体的な内実や背景となると、じつはほぼまったく明らかにされていなかったと言っても過言ではありません。

デュルケムにとっての言語概念は、重箱の隅をつつくようなトリヴィアルなテーマではありません。彼にとって言語とはフランス語であり、フランス語こそがフランス社会の社会的事実だと考えたわけですが、じつはそれは多言語国家フランスの現実とは大きく食い違うものでした。

本稿では、中央ヨーロッパで一般的だったエスノ言語ナショナリズムとの対照で、そうしたデュルケムのフランス語モノリンガリズムを「市民言語ナショナリズム(civil-linguistic nationalism)」と呼ぶことにしました。フランス革命家たちや第三共和国が考えたのと同様、デュルケムにとってフランス社会の市民の言語は、フランス語でなければならなかったのです。

このように、言語は、彼の社会理論のかなり本質的な部分を形成していますが、これまでこのテーマはほぼ無視されてきました。その意味で、今回、いわば「誰も知らなかったデュルケム」を示せたのではないかと思います。じっさい今回の本稿の試みは、デュルケムの専門的研究のなかでもおそらく初めての試みのはずです。エディター氏からも、本稿に対して「たいへんに独創的」と思いがけずお褒めの言葉をもらい、本当に嬉しく思います。

しかし本稿は、デュルケム理論の研究者のみならず、言語やナショナリズム、フランス近代史やフランス教育史、さらにユダヤ人などのマイノリティ問題などに関心がある方にも、意義があると考えますし、そもそも社会学者ならば、デュルケムについては誰でもいくばくかは知っているだけに、彼についてこれまで未知の側面を提示したであろう本稿は、社会学者ならみな面白く読んでいただけるはずだと思います。

ヴェーバーに関する上記の論文に続き、本稿も、通常の論文2本分以上に相当する長大なものになりました。じっさい、事前に調べた内容と草稿は膨大な量になったので、もはや1冊の本にしてしまおうか少し悩んだのですが、やはりできるだけ密度濃くコンパクトにし、雑誌論文として早く、かつできるだけいろいろな人の目に触れるようにしようと考え、何とか論文2本相当の分量にまで圧縮しました。

長いとはいえ、平易な英語です。また、読んでいて飽きないように、いろいろな仕掛けもしたつもりです。外出自粛の真っ最中に、ぜひご笑覧いただけると幸いです。

追記
本日(2020年5月7日)ご覧いただけるバージョンには、いくつかの文献注に若干の欠けがあります。出版社側の校正過程で発生したもので、現在修正依頼中です。いずれにせよ本文をお読みいただく分にはまったく問題ありません。
むしろこのコロナ渦のなか、刊行にまで漕ぎ着けてくれた Theory and Society 誌のエディターや校正者の皆さまに深く御礼を申し上げる次第です。