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 先の10月13-14日の日程で、ついに宮崎市にてフィールドワークのゼミ合宿をおこないました。「ついに」というのは、これまで何度も合宿候補地として挙がりながら、ゼミ生に宮崎出身者がいるなどの理由で、訪れていなかったからです。わたし個人としても久しぶりです。
 ちなみに、熊本市と宮崎市のあいだに鉄道はなく、高速バスで3時間半ほどかかります。隣県とは言え、両市が九州の東西にある上に、意外に南北差もあるためです(参考までに言うと、公共交通機関を使った福岡市から宮崎市への最短陸路は、九州新幹線で熊本県の新八代駅まで行き、そこから高速バスに乗り継ぐというルートです)。

 ただ、宮崎が長らく交通網の整備という面で取り残されてきたのは事実です。驚くかも知れませんが、北九州市から大分県を抜けて宮崎市まで東九州自動車道が直結したのは、まだ2年前のことです。東海道新幹線に遅れること約半世紀後にようやく全線開通した九州新幹線の福岡~熊本~鹿児島ラインに比べても、率直に言って、さらに開発が遅れた地域です。東九州自動車道の構想自体は昭和40年代に遡るそうですが(2018年8月の産経新聞の連載「平成の高速道路はこうして生まれた」〔1〕〔2〕〔3〕参照)。

 とまあ、書いているとキリがありませんからこのあたりにしておきますが、「宮崎をどげんかせんといかん」というフレーズで注目を集めた東国原英夫知事(2007-2011在任)の誕生の背景には、こうした事情があると言えます。

 というわけで、失礼な言い方になるかもしれませんが、「近代化のなかで取り残されたいわば周縁/辺境地域を調べ歩く」というのが、今回のテーマでした(実際には今回に限らずだいたいいつもそれがテーマですが)。
 また、ご存じかもしれませんが、宮崎はいわゆる「神話のふるさと」として、一種のナショナリズムとスピリチュアリズムを(再)観光資源化しようとしている点でも、興味深い場所です。いわゆる第一の近代における工業化(ウルリヒ・ベックのいう単線的近代化)に取り残されたことで、大都市部からの観光客を呼び込むべく、ありとあらゆるものを資源として動員しており、そのなかには太陽と海も含まれています。かねてからの南国イメージは有名ですし、現在の宮崎県PRのキャッチフレーズは「日本のひなた」です。「神話の時代から日向と称されてきた」ということだそうです

 例によって本年度前期から関連文献を読み込み、フィールドワーク地点の狙いを定めてゼミ生たちが計画を立て、万全の準備で現地に赴きました。宮崎の現状等々を理解する上では、熊本博之先生(明星大学)の論文「大淀川から一ッ葉へ――宮崎観光の分岐点と『約束された破綻』」(明星大学社会学研究紀要34: 1-14, 2014年)や、「なぜシーガイアはつくられたのか?――リゾート法と宮崎県の共振」(明星大学社会学研究紀要35: 23-38, 2015年)など、複数の論文をみなで講読して勉強しました。

 やはり現地に行ってみるといろいろな発見があり、そこかしこに垣間見える岩切章太郎の影に驚かされましたが、他にも、今回知ってちょっとビックリしたことのひとつは、たとえば、野球の宮崎フェニックスリーグというのが10月中に入場無料で開催されており、そこには、日本のプロ野球のファーム(イースタンリーグとウエスタンリーグ)のチームのみならず、サムスンなど韓国プロ球団なども参加していることです。巨人をはじめとする国内の各球団のみならず、韓国のプロ球団のキャンプも誘致しているということで、九州と韓国の近さを感じさせますが、日韓の距離を考えれば、そもそも1軍レベルでの日韓合同リーグというのもいずれありうるのかな、と思わされました。
 ともあれ、とくにプロ野球については、宮崎最大の歓楽街であるニシタチをはじめ、あちこちでその存在を身近に感じることができます。わたし自身、以前に宮崎でなぜかプロ野球選手に間違われたことがありますが、そんな間違われ方は宮崎でしか体験できないでしょう。また、サッカーなど他のスポーツのキャンプの誘致や、国際的なゴルフ大会の開催なども、経済政策としておこなわれていると感じます。これについては、たまたま利用させていただいたタクシーの運転手さんに、いろいろと教えていただくことができました。

 ちなみにわれわれ自身は、おそらく宮崎がこれからいっそう強く推してくるであろうサーフィンを、さるサーフショップさんのご指導のもと、学習の一環としてみなで体験しました。ふだん勉強のしすぎなのか(?)、学生たちは、インストラクターさんに体が硬いと言われていましたが、なんとか立ち上がるところまで頑張っていました。
 サーフィンは、来たる2020年の東京オリンピックで正式種目として採用されたこともあって、世間的にも注目度が増しているのみならず、近年は、宮崎へとサーフトリップする方、さらにはサーフィン移住者も少なくないと言われています。じっさい今回サーフィンをご一緒した方も、大阪から来られたと言っていました。他に、青島の近くでは、宮崎に移住してこられたアーティストの方々とお話することもできました。

 そのほかにも、某所の警備員の方から東国原知事ブームのときと現在との落差をお聞きできたり、いわゆる「八紘之基柱」(平和台公園)では地元の方から関連する神話と歴史を詳細に説明していただき、挙げ句に皇軍発祥之地宮崎神宮まで車で送っていただくなど、宮崎のみなさんの優しさが身に沁みたフィールドワークとなりました。(ちなみに宮崎では、「神話推し」の一環か、公共空間に突如として埴輪が置かれているのを見掛けることがあります)。
 シーガイアの目玉であったオーシャンドームはすでに取り壊され、跡地は中古自動車屋さんになっていましたが、そのお隣のシェラトンホテルの最上階から見せていただいた海岸線の景色は、あまりの絶景ぶりに、学生たちも思わず驚きの声を上げたほどでした。いっさいのお世辞抜きに、本当に素晴らしかったです。そして、他方に広がるビニールハウスとのコントラストも、ある意味で印象的でした。
 実際のところ、これだけのレガシーが残され、また観光資源もあります。かくして、シーガイアの破綻によって頓挫したかに見えるいわば「宮崎滞在型リゾート構想」は、青島周辺なども見るかぎり、個人的には、ある程度規模を縮小しながらもむしろ新たに継承されているようにも感じられました。

 今回、例によって計画立案から当日の実施まですべて学生主導であり、よく頑張ってくれたおかげで、たいへんに密度の濃い学習の時間となりました。実際、ニシタチの夜のにぎわい堀切峠青島の美しさ、また、最後に幸運にも乗ることができたJR九州の特急・海幸山幸(これも神話にちなんでいます)、さらには、有名なチキン南蛮はもちろん、辛麺肉巻きおにぎりなんじゃこら大福えびソフトや明日葉アイスなどなど、いろいろなものを見聞きし、また食しました(食べることも社会学の重要な一部です。なお、宮崎郷土料理の飲み屋さんではカエルも食べました。地元食材?)。
 もともと田舎出身のわたしには「地方礼賛」のような感覚はありませんが、ともすれば社会学者ですら知らなかったり気づかなかったり忘れたりしがちな日本社会の地域的多様性を、今回思いがけず再認識したのはひとつの収穫でした。ゼミ生たちも、当初は宮崎の見どころに対してたいして期待していないようでしたが(再度失礼)、帰り際、2~3ヶ月滞在してみたいとか、いっそいちど住んでみたいとか言い出したのは、わたし自身予想だにしていなかっただけに、嬉しいかぎりです。また、サーフィンにハマったらしき者もいて、今後につながるゼミ合宿となりました。
 というわけで、道中お世話になった宮崎のみなさんに、心より感謝を申し上げます。また行きます。

追伸
そういえば、わたしのツイッターアカウントのトップ画像は、もう長らく、以前訪れた宮崎・日南市のサンメッセ日南のモアイ像です。イースター島に行ったことはありません。

以下、フィールドワーク時の写真(閲覧できない場合はオリジナルのブログ記事に飛んでページの再読み込みをしてください。なお、ウェットスーツで映っている写真はサーフショップさん撮影):
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 先の9月に開催された第91回日本社会学会で、「自由と秩序の社会学理論」というシンポジウムを企画し、かつ登壇者のひとりとして「社会が変わるには――自由の社会進化論によせて」という題目で発表をおこないました。日本社会学会では過去に若手フォーラム企画などを担当した経験はあれど、シンポジウムは企画するのも登壇するのも初めてで、まずは無事に終えることができて、いまさらながらにホッとしています。
 一緒に報告者としてご登壇いただいた小山裕先生(東洋大学)には「近代秩序における尊厳と公正――平等主義への社会システム理論的接近」、また市野川容孝先生(東京大学)には「社会的な自由の構想」という題目で、それぞれお話しいただきました。各先生の議論の中身をここで詳しく紹介するのはわたしの能力を超えるので控えますが、小山先生による理路整然とした歴史整理を踏まえた「格下げ平等のグローバル化」という議論や、市野川先生による戦中日本社会学の国体論や社会主義の優生思想を反省的に振り返りながらの「自由の秩序」に関する迫力ある議論は、どちらも唸らせる内容であり、登壇者としては手強い議論相手でしたが、企画者としてはこのお二人にご登壇を依頼してよかったとあらためて思いました。また、私の報告が何とかかたちになったのも、このお二人が「論敵(?)」としていらしたからに他なりません。再度心より御礼を申し上げる次第です。
 また、ウルリヒ・ベックの理論研究で著名な伊藤美登里先生(大妻女子大学)には、コメンテーターとして、ご自身のドイツでの調査経験にもとづいて、鋭いコメントとご質問をいただきました。強調すべきでしょうが、シンポ当日のガチンコの緊張感を保つため、登壇者同士は、事前に詳しい発表内容はお互い知らせないことにしてありました。これはコメンテーターもほぼ同じで、質問等も口裏を合わせるようなことはしていません。つまり伊藤先生には、登壇者一人あたり40分ほどの密度濃い発表を3人分聞いて、短い休憩後に即興で20分程度のコメントをしなければならないという、ある意味もっとも過酷な役をお引き受けいただきました。あらためて深く感謝を申し上げる次第です。
 そして今回、司会者には、同じく企画者である浅野智彦(東京学芸大学)お一人でお願いいたしました。じつはもともとはわたしも、当日は司会者として浅野先生の横に座っているつもりでしたが、企画を具体化する段階で浅野先生に登壇を勧めていただき、それまで自分自身では薄らぼんやりとしか考えのなかったこのテーマで何か話せるような気がしてきて、結果、登壇者として演台に立たせていただきました。浅野先生に背中を押していただいたおかげであり、また、事前の打ち合わせに始まって、シンポの趣旨説明やフロア入り乱れての議論の交通整理に至るまでのあいだも、何から何までお世話になりました。浅野先生抜きには成り立たなかったシンポです。本当にどうもありがとうございました。
 最後に、当シンポにご来場くださった聴衆の皆さまにも深く御礼を申し上げたいと思います。実際、地方開催に加えて夏休み中の9月中旬開催だったこともあって、大会自体の参加者数が例年よりやや少なく、また、裏に2つのシンポが行われていたことを考えれば、十分すぎる数の方に聞きに来ていただけたと感じています。さらに、予想以上にフロアからの質問も多く、また、登壇者とコメンテーターと司会者のあいだで噛みあう論点も想像以上に多くあったと感じています。ですので時間マネージメントの点で、企画者としてもう少し全体での議論の時間が取れるように設計すればよかったと、反省しきりです。通常のシンポよりも登壇者に詳しく話してもらおうと、多めに時間を割り当てたのは意図したところでしたが、これは次の機会につなげたいと思います。なお、会場校である甲南大学の先生方や学生さんたちには、会場の設営やシンポの運営で多大なご協力を賜りました。おかげさまでスムーズな進行ができました。記して深く感謝を申し上げます。また、3年間お世話になった日本社会学会・研究活動委員会の皆さまにも、いろいろ本当にお世話になりました。いつもわいわいがやがやと、予想外に楽しい時間でした。またお目にかかれるのを楽しみにしています。

 以上、学会大会後、所用で10日間ほどずっとバタバタしており、遅ればせながらの報告となりましたが、どうかご容赦いただければと思います。なお、余談ですが今回、日本社会学会大会の直前にベルリンでEuropean Sociological Associationの社会理論部会・中間会議でも英語での発表があったため、息つく暇もなく、準備が相当ハードでした。さらに、ベルリンから関西国際空港着で、そのまま会場校のある神戸に直行の予定でしたが、ご周知のとおり台風被害で関空が閉鎖となったため、シンポに間に合うよう帰国できるかどうかすら分からず、いろいろ気を揉むところでした。これについては、航空会社さんと旅行代理店さんのご尽力で、別空港(中部国際空港)に振り替えていただくことができ、ほぼ当初予定どおりに神戸入りができました。この場をお借りして、心から御礼を申し上げる次第です。
 というわけで、後期も始まりました。頭を切り換えて、また頑張っていきます。