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"Research" の業績一覧で、次の文献が抜けていたので加えなおしました。

多田光宏,2016,「東日本大震災と福島第一原発事故から遠く離れて――『自主避難者』に関する熊本大学文学部での社会調査実習」『社会と調査』一般社団法人社会調査協会,17: 97-103.

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 本日、本学の卒業式が行われました。曇りで、少しだけ雨がパラつきましたが、幸いにして本降りにならずに済みそうです。ただ、三寒四温が続いていて若干薄ら寒く、この時期にしては珍しく、桜がまだ咲きかけていません。
 拙ゼミ参加者からは今年、4名の卒業生が巣立っていきます。公式のゼミ生3名と、他専攻から来てくれていた学生1名で、それぞれ個性がかなり際立っていたため、わたしも日々体力がいりましたし、またときにはやらかしてわたしが怒ることもありましたが、そのぶんみな勉学意欲がきわめて旺盛で、普段のゼミも大変活発であり、さらには合宿での珍道中ぶりも含めて、いろいろな意味で思い出深い年度となりました。卒業論文も、とりわけうち2つは、おたがいのおそらく内心猛烈な「切磋琢磨」の末、それぞれ13万字と10万字という、拙ゼミ過去最大の大作となり、内容的にも、修士論文を超えて博士論文として提出されてきてもおかしくない出来でした。テーマは奇しくもそれぞれ沖縄と北海道という日本の南と北の端であり、現地での複数回のフィールドワークや、さらには東京の外交史料館にまで足を運ぶなど、フットワークの軽さも大変優れていました。
 ちなみにこの2人はヨーロッパに留学しており、いちど外に出てみた経験が、今回の卒論を書く上でベースとなったように思います。残る1人のゼミ生も春から進学し、まもなくスラブ語圏の国に留学予定です。彼女もまた現地でのさまざまな出会いや出来事を経て、修士論文を書き上げる基盤を作ってくるでしょう。
 ところでじつは、ゼミ生は他にも2人います。アジアへの留学を経てちょうど帰国した学生、ならびに、まだしばらくヨーロッパで研鑽を積む学生とです。彼らも本来なら今年度で卒業でしたが、最短4年で出ていくだけが学生生活ではないということで、3年生のときに思い立って留学を選びました。とてもいい選択だったと思います。
 ゼミ生全員が留学した/している/する、というかなり特殊な代でした。つねに個性がぶつかり合い、刺激し合い、ときに励まし、ときに競い合った結果の、創発的な現象と言えるかもしれません。今日、社会情勢は日本も世界も明らかに不安定であり、先行きも決して楽観視できるわけではありませんが、むしろだからこそ、従来型の安定を求めてただ与えられた仕事や業務を組織のなかで右から左にこなすだけの、しかしそれでいてプライドだけは高い「末人」的な生き方ではなく、これまでのさまざまな経験を忘れずに、自分がいまいるところから一歩踏み出す勇気をつねに心に抱きつつ、各自の分野で活躍してほしいと願っています。
 さて本学に着任して5年。良いことも悪いことも、本当にいろいろなことありました。わたしもここでいったんリセットし、自分が本当にすべきことは何か、初心に返って、彼/彼女たちに負けないようネジを巻き直したいと思います。

追記
熊本地震の影響で、今年度の学位伝達式は五高記念館で開催できなかったの残念です。
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追記2
上の記事を書いてすぐの謝恩会後の二次会で、ゼミ生からの寄せ書きつきの、ゼミ活動アルバムをもらいました。それぞれのコメントが嬉しく、また写真も懐かしくこれまでを振り返りました。他のプレゼントもありがとう。使わせてもらいます。

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 kumamoto guide


 このたび、拙稿「熊本ダークツーリズム――ハンセン病と『圧縮された近代』を巡る旅」を収録した『大学的熊本ガイド――こだわりの歩き方』(熊本大学文学部編・松浦雄介責任編集)が刊行されました(実際に店頭に並ぶのはあと数日かかるかもしれません)。タイトルが示すとおり、街歩きや旅行のための、大学の研究者による地域ガイドです(シリーズ化されています)。

 さてじつは、本ガイドへの執筆依頼のお話を当初いただいたときは、他の仕事が立て込んでいていったんお断りしたのですが、昨年1~2月頃に再度ご依頼をいただきまして、年度末の諸々の校務・雑務の合間を縫って集中的に書き上げたのが、今回の拙稿です。熊本地震の前のことです。なおテーマはこちらから提案して決めました。熊本の地域ガイドブックを大学人、とくに社会学者が書くのであれば、ハンセン病は外すべきではないだろうと考えたからです(なお今回のガイドブックの対象地域は熊本県全域ではなく熊本市がメイン)。

 とはいえ私自身、じつはハンセン病を専門的な研究対象としたことはありません。これまではただ、授業で関連文献を取り上げたり、シンポジウムに話を聞きに行ったり、ときどき菊池恵楓園のあたりをぶらついたりするくらいでした。他方、周知のとおり、ハンセン病の問題にはまだまだ解決すべきことが残されており、依然として現在進行中の複雑な事柄だけに、短いコラムとはいえどう書くべきか、そもそも「ダークツーリズム」というアプローチがいいかどうかも含めて、内心ずいぶん悩みましたし緊張もしました。そのため、菊池恵楓園のみならず東京の多摩全生園ならびに同園隣接の国立ハンセン病資料館にも足を運び、できるかぎり細かく、論文にできるくらいに調べるよう心がけたつもりです。コラム中では、熊本におけるハンセン病ゆかりの場所、とくに回春病院(現リデル、ライト両女史記念館)、本妙寺、菊池恵楓園に触れながら、ハンセン病者が排除されていくプロセスを、後発近代国家である日本の圧縮的な近代化との関係で描きました。実際、日本では、治療や福祉ではなく隔離政策によって病者を人目につかないようにすることで、近代国家としての体裁を取り繕います。そしてそうした隔離政策はじつに1996年まで続きます。

 韓国人社会学者チャン・キョンスプによる「圧縮された近代」という概念に基づいての日本のハンセン病政策の整理は、わたし自身の解釈ですが、一つお断りしたいのは、圧縮的な近代化を体験したすべての国でハンセン病が日本と同じような扱いを受けるかどうかは検証の余地があるということです。本コラムではそこまで立ち入ることができませんでしたが、実際には当てはまらないケースは少なからずあると思います。ただ、先進国も含めて多くの国の政府が貧困ではなく貧者を排除しがちなように、近代国家らしい見栄えを急いで整えようとすればするほど、コトではなくヒトに対して排除的な政策になるのは一般的な傾向のように思われます。ともあれ本稿、短い読み物での試論的な解釈としてご理解いただければ幸いです。

 さて今回の執筆は、私にとってたいへん良い経験となりました。とくに菊池恵楓園の入所者の方々、自治会長の志村康さんらとお話をさせていただいたり、園内でのお花見にも参加させていただいたりしたのは、とてもありがたいことでした。多摩全生園で受付の方と思いがけず話が弾んだのもよい思い出です。また、菊池恵楓園・社会交流会館(歴史資料館)で学芸員をされている原田寿真さんには、脱稿前に本コラムをご閲読いただきました。むろん本稿の内容の責任はすべてわたしにありますが、ここに記して深く御礼を申し上げる次第です。ちなみに、拙稿内の2点の写真(本妙寺公園からの熊本市街地の風景写真と、菊池恵楓園のコンクリート塀の写真)は、私自身の撮影によるものです。本自体の表紙や口絵にも計3枚の写真を提供しました。

 最後に一つ。今回、ハンセン病を取り上げる最大のきっかけとなったのは、本学部前学部長の故・小松裕先生とのお話です。私が本学に着任して少し経ったころ、翌年の授業でハンセン病を取り上げようかと考えていたときに、小松先生がハンセン病史のご研究をされていると知り、研究室にうかがったところ、突然の不躾な訪問であったにもかかわらずニコニコと応対していただき、資料のコピーまで下さりました。そのとき教えていただいたことが本コラムの着想の発端になったと思います。また上記の授業では、学生たちと、蘭由岐子先生の『「病いの経験」を聞き取る――ハンセン病者のライフヒストリー』を集中的に読みました。そのときのベースがあったからこそ、何とか本コラムを書き上げることができたと思います。同書は執筆中も何かと参考にさせていただきました。両先生にも深く御礼を申し上げる次第です。

 なお、今回の拙稿はあくまで短いコラムですから、文献一覧を付けることができませんでした。参考までに以下、執筆にあたってとくに参照させていただいた著作や論文を挙げておきます。(さらにその下には、本コラムに出てくる場所の写真も掲げておきます)。

 

文献

青山陽子,2014,『病いの共同体――ハンセン病療養所における患者文化の生成と変容』新曜社.

蘭由岐子,2004,『「病いの経験」を聞き取る――ハンセン病者のライフヒストリー』皓星社.

東浩紀編,2013,『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』ゲンロン.

Boyd, Julia, 1995, Hannah Riddell: An Englishwoman in Japan, Rutland, Vt.: Charles E. Tuttle.(=1995,吉川明希訳『ハンナ・リデル――ハンセン病救済に捧げた一生』日本経済新聞社.

Dobson, Mary, 2007, Disease: the Extraordinary Stories behind History's Deadliest Killers, London: Quercus.(=2010,小林力訳『Disease――人類を襲った30の病魔』医学書院.)

藤野豊,2001,『「いのち」の近代史――「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者』かもがわ出版.

藤野豊編・解説,2004,『[編集復刻版]近現代日本ハンセン病問題資料集成〈戦前編・戦後編〉解説・総目次』不二出版.

藤野豊編・解説,2004,『[編集復刻版]近現代日本ハンセン病問題資料集成〈戦後編〉第10巻 国会議事録・解説』不二出版.

藤野豊編・解説,2004,『[編集復刻版]近現代日本ハンセン病問題資料集成 補巻3 本妙寺事件/九州療養所関係/自治会沿革史』不二出版.

藤野豊編・解説,2004,『[編集復刻版]近現代日本ハンセン病問題資料集成 補巻5 世界のハンセン病政策/近代初期日本のハンセン病』不二出版.

藤野豊,2006,『ハンセン病と戦後民主主義――なぜ隔離は強化されたのか』岩波書店.

猪飼隆明,2005,『ハンナ・リデルと回春病院』熊本出版文化会館.

菊池恵楓園の将来を考える会編,国立療養所菊池恵楓園入所者自治会監修,2009,『ガイドブック 菊池恵楓園』花伝社.

国立療養所菊池恵楓園入所者自治会,2006,『壁をこえて——―自治会八十年の軌跡』国立療養所菊池恵楓園入所者自治会.

熊本日日新聞社編,1993,『愛と奉仕の日々――リデル・ライトの足跡』熊本日日新聞社.

森幹郎,2001,『証言・ハンセン病――療養所元職員が見た民族浄化』現代書館.

無らい県運動研究会編,2014,『ハンセン病絶対隔離政策と日本社会――無らい県運動の研究』六花出版.

犀川一夫・森修一・石井則久,2012,『世界ハンセン病疫病史――ヨーロッパを中心として』皓星社.

潮谷總一郎,1952,「本妙寺癩窟」『日本談義』23: 60-64.

――――,1953,「本妙寺周邊」『日本談義』27: 54-58.

武田徹,1997,『「隔離」という病い――近代日本の医療空間』講談社.

飛松甚吾,[1934]1993,『[復刻版]ミス ハンナリデル』リデル・ライト両女史顕彰会.

内田守編,1976,『ユーカリの実るを待ちて――リデルとライトの生涯』リデル・ライト記念老人ホーム.

山本須美子・加藤尚子,2008,『ハンセン病療養所のエスノグラフィ――『隔離』のなかの結婚と子ども』医療文化社.

財団法人日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議,2007,『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書 (別冊)ハンセン病問題に関する被害実態調査報告』.

財団法人日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議,2007,『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書(上)』明石書店.

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