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先の『ブラックアース』に続いて、同じくティモシー・スナイダーの『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実(上・下)』(布施由記子訳 筑摩書房)を読んで、たいへんな感銘を受けた。が、その中身についてはここでは触れず、最終章である「結論――人間性」での一部分を、備忘録的に抜き書きして、雑感を記しておきたい。前回このブログに書いたことと、図らずも通底しているように思う。

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 「(略)少なくとも今日の西洋諸国では、流血地帯〔=1933年から1945年にかけて、スターリニズムとナチズムの双方によって大量殺人がおこなわれたポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部の地域。本書のタイトルでもある〕の犯罪者や傍観者と自分が似たような歴史的状況にあることを理解するより、被害者と自分を同一視するほうに気持ちが向きがちである。被害者側に身を置けば、犯罪者とは完全に無縁でいられる。〔中略〕しかしこうした同一視によって多くのことがわかるのかどうか、あるいはこのような形で殺人者とのあいだに距離を置くことが道義的かどうかは疑問が残る。歴史を道徳劇に貶めることによって人が正しい道を歩むようになるとは、とうてい思えない。
 残念ながら、被害者の立場を選ぶことは、倫理的に健全ではない。スターリンもヒトラーも、政治家生命を全うするまで一貫して自分は被害者だと主張し続けた
。彼らは何百万人もの人々に、あなたがたもまた、国際資本主義やユダヤ人の陰謀の被害者なのだと説いた。〔中略〕二十世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や犯罪者が自分はなんの罪もない被害者だと主張するところからはじまっている。二十一世紀の世界でもこうした主張をもとにした攻撃戦争の波がふたたびわき起こっている。〔中略〕人間の被害者意識を持つ能力にはかぎりがない。だからそうした意識のある人々をそそのかせば、激しい暴力行為に駆り立てることができるのだ。〔略〕
 大量殺人の被害者は人間だった。真の意味で彼らと自分を同一視したければ、彼らの死ではなく生を把握すべきであろう。定義上、被害者は死んでいるのだから、他人に自分の死を利用されないよう自衛することはできない被害者の死によって政策やアイデンティティを正当化することはたやすい。しかしこれに比べて魅力は薄いが、倫理上はるかに切迫した課題は、犯罪者の行動を理解することだ。つまるところモラルの危機は、人が被害者になる可能性ではなく、犯罪者や傍観者になる可能性に潜んでいるからだ。誰しも、ナチスの殺人者は理解の範疇を超えた人間だと言いたくなる。〔中略〕しかし人間の人格を否定してしまったら、倫理的考察はできなくなる。
 こうした誘惑に負けて他者を人間以下の存在と見なせば、ナチスから遠ざかるどころか、一歩近づくことになってしまう。他者を理解できないということは、知の探求を放棄することであり、歴史を放棄することでもあるのだ」(『ブラッドランド(下)』263-264)


 かくしてスナイダーは、「ブラッドランド」で大量殺人にかかわった者たちの動機がむしろ「理にかなっていた」(『ブラッドランド(下)』265)もの、つまり「合理的」なものであることを認めるべきだと主張する。これは、前回ここで取り上げた『ブラックアース』において、スナイダーが、自分や家族の命を危険に晒しながらもユダヤ人をたすけた人々の振る舞いをむしろ「非合理的」(これはもちろん賞賛の意味でである)だとしたことと、対照的である。
 いずれにせよ、上の引用文中でスナイダーが述べているのは、いわば表面的に被害者と我が身を同一視し、ただ犯罪者の非人間性をあげつらって倫理的に非難するよりも、むしろ犯罪者の行為を合理的なものとして理解することのほうが、倫理的にはるかに求められる課題であり、また被害者の立場に立つことを意味する、ということである。ここには、マックス・ヴェーバーの理解社会学、さらにはニクラス・ルーマンの社会システム理論(セカンド・オーダーの観察)と、同じスタンスが示されているように思う。そして実際に、スナイダーの主張は、扇動的な政治家やナショナリストのみならず、研究者にも向けられているように感じる。研究者には、とかく自分を善なる理性的立場に置きたがる人が少なからずいるが、もし自身のことを理性的(合理的)だと任ずるのならば、むしろ、自分が当時ブラッドランドで有利な立場にあった場合に、スターリニズムやナチズムに加担した(せいぜいそれを傍観した)ほうがはるかにありそうだ、と考えるべきだろう。誤解を恐れずに言うが、少なくとも、私自身は自分についてその可能性を否定できない。知らない他人を救うために自分の命を懸けるという「非合理的」な行為を、自分ができると信じられる確たる根拠は、ない(「自分にはある」と断言できる人は、いちど「ダニング=クルーガー効果」を調べてから、自分のこれまでの人生がどうだったか冷静に振り返った上で答えてほしい)。

 昨今の、少なくとも日本における「リベラル」(な学者)への信頼の低下は、日頃は「理解」や「討議」を口にしながらも、我が身を棚に上げ、問題を倫理化し、対極の立場の人々をただ理解不可能な、非合理的で非人間的な存在としがちなことにも、一因があるように思われる。それでは「同じ穴のムジナ」と見なされざるを得ない面があろう。少なくともそういう習い性に、欺瞞のにおいがするのは確かだ。自戒を込めて、そう思う。
 ヴェーバーが言うように、理解するということは、同意するということや、許すということを意味しない。理解するということで重要なのは、かくかくしかじかの状況で、かくかくしかじかのように行為することには、普通であれば一定の確率が、誰にでもあるのだと認識することである。それが「人間性を理解する」ということでもあると思う。
 なるほど、決然と闘わなければならないときも、たしかにあろう。だがそれは、自分だけはつねに善で理性的だと特別視・特権化することでは、けっしてない。とくに第三者的な立場の人間(たとえば研究者)であれば、人間性を理解して初めて、その行為が望ましくない場合、同意できない場合、許しがたい場合にどうすべきかを、具体的に考えることができるのではないだろうか。また、第三者である以上は、そうするのが責務のように思う。ヴェーバーが価値自由という言葉で表現したように。


 ティモシー・スナイダー『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告(上・下)』(池田年穂訳・慶應義塾大学出版会)に、とても印象的な言葉があったので、備忘録的に記しておく。第二次世界大戦のときに命懸けでユダヤ人を助けた人たちに対する、「善の凡庸さ」という言葉である。

「たとえユダヤ人が、自分たちが救助された理由についてほとんど語っていないにしても、進んで話してくれるという点では、救助者〔ユダヤ人を助けた人たち〕の方がさらに望み薄であった。彼ら救助者は、自分のしたことを語りたがらないのが普通だった。〔中略〕『ユダヤ人を救った人間はたくさんいました。そしていつでもそのことを口にするわけではないのです』。これまたそのとおりだった。ユダヤ人を救助しなかった人々の方が救助したと言い張り、実際にユダヤ人を救助した人々は、しばしば黙したままだった。いったん口を開いたときにも、救助者にはある種特別な謙虚さ、動機については今にも口を噤んでしまおうとする気後れが、傾向として間違いなく存在した。そもそも救助者が実際に何かを話すと、たいがいは面白くも何ともない。ためらいためらい話す点では、性差、階級、言語、民族、世代を超えて一貫している『善の凡庸さ』ゆえだ」(『ブラックアース(下)』157-158)。

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 同書「訳者あとがき」によれば、この「善の凡庸さ」という言葉は、ユダヤ人救助者ジョルジョ・ペルラスカ(1910-1992) の伝記のタイトルと同じだそうである。スナイダーはおそらくそこからこの言葉を取ってきたのだろう。いずれにせよ、個人的には、ハンナ・アーレントの有名なフレーズ「悪の凡庸さ」よりも実感として理解できる表現ではある。本当に骨身を削って他の人を助けていたり、辛い目に遭ってもじっと堪えたりしている人たちの、 それを特別視せず「当たり前」のこととして受け止めるという、私には及びもつかない謙虚さや慎ましさを、これまで何度も目にしてきたし、また、実際に私自身、何度もそういう人たちに助けられてきた。

 これに対し、とかく自分のことを言ってまわっ たり、キレイゴトを並べ立てたり、ひるがえってやたら他人を批判したり、あるいは、自分の都合で他の人が誰かを批判するようそれとなく仕向けたり貶めたりする人というも、他方で多く目にしてきた。謙虚さや慎ましさからほど遠く、自分を特別視するこれらのタイプの人たちは、大学業界でもよく見かけるが、こういう人というのは、何よりもまず自分自身を心から欺ける人であるように思う。いわゆるダニング・クルーガー効果の一種だろう。言行不一致の甚だしさ、とくに、自分のことは棚に上げ、また、棚に上げていること自体を認識しないという点に、大きな特徴があるように思う。

 いずれにせよ、そういうある種の「声の大きな人」や「躊躇なく公の場でキレイゴトを(本質的には自分のプレゼンスや利益のために)語る人」は、真っ先に自分を騙しており、記憶までも自分に都合よく改ざんし、それを心底信じて語るので、周りもその欺瞞やウソを認識しづらく、残念ながらついその人の言うことを信じてしまいがちである。あるいは、たとえ欺瞞やウソのにおいを直感的に感じ取っても、多くのばあいで確証があるわけではないため指摘しづらく、相手を信じていることにせざるをえなくなりがちであ る。

 だが、冷静に考えれば、まともな感性の持ち主ほど、そのまともさゆえに自分の功績や被害を黙して語らず、せいぜいでも控えめに語るだけ、というのは真理だろう。語るべきこと、主張すべきことのすべてに口をつぐめと言っているのではまったくない。そうではなく、自分自身を騙すタイプの人の語りには、決して騙されてならないし、ましてや自分自身がそういう人にならぬよう注意しなければならないと、あらためて自戒を込めて思うということである。スナイダーの次の言は正しいだろう。

たぶん、我々は将来の災厄の何かに遭遇したら救助者になることを想像していよう。けれど、国家が破壊され、地元の組織が崩壊し、経済的な誘因が殺害へと向かわせるときに、我々のなかで立派に振る舞える者はほとんどいまい。我々が1930年代、1940年代のヨーロッパ人にくらべて道徳的に優れているとか、ついでにいえば、ヒトラーがあれほどうまうまと普及させ実現させた考えに対し付けいれられる隙が少ない、などと考える理由はまずなかろう」(『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告(下)』167)。

 前期のゼミの最終回では、第二次世界大戦前のドイツの経済状況とヒトラーの政策について、本を読んで学んだが、そのとき学生たちが「自分も当時ドイツにいたらナチスを支持したかもしれない」と言っていたのを聞いて、この人たちはむしろ大丈夫だろうと思った。危ないのは、自分を客観視する能力がなく、「もし自分がその人の立場や境遇だったらどうか」という、他者に対する想像力が欠けていて、自分を高みにおいて口先で何かや誰かを断罪するような人であろう。

 「悪の凡庸さ」は、自分を特別視するそういう人に宿っているように思う。



突如思い立ち、車をかっ飛ばして福岡の糸島にサーフィンに行ったが、なぎだった。でも楽しかったからいい。エメラルドグリーンの、透明度の高い砂浜を、サーファー私一人。贅沢。ちなみに子どもを「助け」て、お父さんに感謝された。彼らのなかでサーファーへの見方が変わったに違いない。ふふふ。それにしても、とにかく糸島はおしゃれで、たとえるなら東京都民にとっての鎌倉・湘南だが、海の透明度は比べるべくもない(糸島のほうが五百倍くらいきれい)。
http://find-travel.jp/article/92

しかし帰熊して、立ち寄ったクラフトビールの立ち飲みの店で、店員と客のみなさんから「サーフィンするなら宮崎に行け」と言われた。なるほどごもっとも。

さて、今年度の日本社会学会大会の会場は、九州大学。糸島は目と鼻の先。博多もいいけど、みなさんぜひ糸島も立ち寄られたし。海、エメラルドグリーンですよ。



毎年恒例のゼミ・フィールドワーク合宿、今年は7月30日・31日の2日間の日程で、熊本県・天草地方に行ってきました。

当初は、本年4月発災の熊本地震で被害の大きかった地域に行くことも考えたのですが、計画段階で今後の推移が読めなかったこと、すでにゼミで早々に益城町にボランティアに行っており、またゼミ生個別にも行っていること、何より、われわれ自身が一種の「震災疲れ」をしていることもあり、学生たちとの再三の検討の末、県内は県内でも、今年度前期の本来的な学習課題であるナショナリズム問題との関連で、あえて上記の地をフィールドワークすることとしました。

ちょうど1週間ほど前に、天草市・崎津教会群を含む長崎県・熊本県のキリスト教関連遺産が、あらためて世界遺産候補として政府により推薦されることが決まったばかり。ちなみに「あらためて」というのは、本年2月にユネスコの諮問機関による指摘を受けて推薦が取り下げられたからですが、ともあれ、そうした隠れキリシタンたちの「受難」にスポットが当てられた、「喜ばしい」タイムリーなニュースの一方で、天草地方がいわゆる「からゆきさん」の主要な送り出し地のひとつであったことは、今日ではすでに忘却の彼方となりつつあるように思います。

移民や外国人出稼ぎ労働者は、昨今、とくに先進諸国でナショナリズムの攻撃対象となっており、またかつて日本人も、ハワイやブラジル、満州等々に多くの人たちが移民したのは周知の通りです。ですが「からゆきさん」については、そこまでの注目と関心が集まることは、少なくとも今日ではないのではないでしょうか。現実には、「からゆきさん」は、近代日本の「外貨獲得のための輸出品」にして大陸進出の「先兵」となったという点、また、その多くが悲惨な境遇を強いられたという点でも、決して無視できない存在だと思われます。

戦後、日本は、著しい経済成長を経て、とくに他のアジア諸国に対してそうした性産業方面でも相当に「強い」立場を得ることになりますが、相対的に経済面での差が縮まっている(あるいはいずれ追い抜かれる/すでに追い抜かれている)状況では、ふたたび何らかのかたちで「からゆきさん」に頼らざるをえなくなるかもしれません(もうある部分ではなっているかもしれません)。おととし香港を訪れたときに、からゆきさんのお墓を探し当てることができましたが、そのときもそんなことをぼんやりと考えました。


それはともかく、今回のゼミ合宿のために、まず山谷哲夫『じゃぱゆきさん』のからゆきさんに関する論述を含んだ第9章「アジアは女だ」をみなで読み、また山﨑朋子『サンダカン八番娼館』も各自で読み込みつつ、映画『サンダカン八番娼館――望郷』もみなで観ました。さらに、天草地方最南端の牛深にかつて存在した遊郭についての論文「牛深と遊郭――歴史、地理、経済を中心に」(亀井拓著)もみなで読み、まさに牛深の遊郭をモチーフにした大竹しのぶ主演の映画『女たちの都――ワッゲンオッゲン』もみなで観て、事前学習を進めました。天草地方のガイドブックとしては、さいきん出版されたばかりの『地球の歩き方JAPAN――島旅・天草』がたいへん読みやすく、役に立ちました。

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からゆきさんに関する本はほかにもあり(たとえば嶽本新奈『「からゆきさん」――海外〈出稼ぎ〉女性の近代』など) 、わたしも持っているのですが、震災で書棚が倒壊したため、ダンボールのなかに紛れていて今回は発掘できず、後期に機会を見つけてゼミ生たちとさらなる理解の深化のために読みたいと思っていますが、上記『じゃぱゆきさん』の当該箇所や、『サンダカン八番娼館』のエピローグ『からゆきさんと近代日本」は、社会学的な構造分析としてたいへんな勉強になりますから、ぜひ多くの方にも読んでみてほしいと思います。

なお、『サンダカン八番娼館』は、天草をあちこち歩き回って地名に馴染みのある人なら、全編、もっといろいろなことが深く理解できると思います。今日、わたしの知るかぎり、天草に「からゆきさん」の痕跡が人目に付くところに残っているわけではありませんが、ぜひ一読のうえ、この地を訪れてみてほしいと思います(ちなみに個人的には、天草には、隠れキリシタン関連の博物館だけでなく「からゆきさん」について、海外移住資料館のような感じの資料館があってもいいように思います。財政的な点で難しいかもしれませんが、それ以外のとくに「感情」面では、今日難しくないように思います)。

ともあれ今回のゼミ合宿、例によってゼミ生たちは事前にかなり緻密なスケジュールを立ててくれましたが、のっけからの予想外の「ハプニング」とともに、立ち寄るところがどこも見どころが多すぎて、時間が押しに押しました。みな、もう1泊したかったと言うくらいであり、本当に密度濃く、楽しい学びの2日間となりました。

また牛深では、天草宝島観光協会の「せどわ案内人」である吉田さんに、旧遊郭跡や漁師さんたちの集落などを詳しく案内していただき、さらには上記映画『女たちの都』の制作時の裏話も聞かせていただいて、たいへん有意義な時間となりました。しかも、われわれのおめあてである牛深食材の「うつぼ」が、地元では「きだこ(喜多幸)」と呼ばれ、地元のスーパーでも売っていることも教えていただいて、街案内後に購入までお付き合いいただいてしまいました。記して深く御礼を申し上げる次第です。ちなみに、買ったうつぼは、茂串海岸の本当に美しい海をみながら、みなで食しました。さらに、お忙しいところ突然の「珍客」に大変ご親切にしてくださった居酒屋ハートの皆さまにも、あわせて深く御礼を申し上げる次第です。


なお最後にひとつ。この前期終了とともに、拙ゼミ4年生のうち2人が、それぞれドイツと中国に留学で旅立ちます。合宿終了後、打ち上げも兼ねてささやかな壮行会を開催しました。これまでに学んだことを活かしながら、健康第一に、楽しく有意義な留学生活としてほしいと心より願っています。


※以下、合宿時の写真(いちばん下のパノラマ写真はゼミ生R・Hの撮影・提供)。
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