今日、3月25日は本学の卒業式でした。着任してから4回目の卒業式ですが、幸いなことに毎回好天に恵まれており、ありがたいかぎりです。また同じく例年通り、少し空気の冷たさが残る一方で、柔らかな日射しのなか、桜の花が少し開き始めていて、学生たちの晴れの門出とともにまた春が巡ってくることを実感させてくれます。
今年の卒業生は、わたしが2年次のコース演習(社会人間学演習)と3年次の社会調査実習とを通しで受け持った、初めての学生たちです。そのためこの3年間、何だかんだときわめて密度の濃い付き合いがありましたし、またそれと比例して、おたがいにいろいろと大変なこともあったように思います。が、教員と学生とのあいだには、良い意味での摩擦は必要でしょう。人はそうやって摩擦のなかで前に進んでいくのですから。いずれにせよ、頑張り屋で真面目な学生たちに恵まれたと思います。社会調査実習に至っては、年度を跨いでの作業もありましたが、それを乗り切れたのも、ひとえに彼/彼女たちのひたむきさのおかげです。
ゼミのほうも、同期4名のうち、留学組の2名を除いた2人が無事卒業となりました。それぞれ卒業論文は、有権者年齢の引き下げなどに見られる社会のなかでの「18歳」の位置付けられ方を扱ったもの、ならびに、自己啓発言説が拡大する現代日本の社会背景を追ったものであり、双方とも、膨大な文献資料を駆使して、それぞれ4万字オーバーと6万字オーバーの論文を書き上げてくれました。内容的にも本当に細かく分析を展開してくれましたが、分かりやすく分量面について言っておくと、この2人のいま述べた卒論執筆量が、本コースの今年度の卒業生22名のうちでおそらくトップだったと思います。よく頑張ってくれました。ゼミ合宿や飲み会なども、楽しい思い出ばかりです。
さて、日本社会も世界社会も、また、大学自体も大学を取り巻く環境も、大きな変化の過渡期にあって、今後どうなっていくのかほとんど見当の付かない時代です。過去はもはや未来のモデルたりえない、そうした時代を、わたしたちは生きています。だからでしょうか、周りを見渡すと、残念ながら何かと自分の都合で物事を運ぼうとする人や、自己利益のためにキレイゴトや正論で粉飾する人、とかく相手を出し抜こうとする人などが、そこら中に増えているように感じます。
ですがその一方で、人が人である以上は、社会で生きていくうえで必要なことは、じつは大きくは変わらないのかもしれません。むしろこんな時代だからこそ、その変わらなさがハッキリしてきたとも感じています。いっとき相手を出し抜いて利益を得て、うまくやったと内心ほくそ笑んでも、それが続くとはかぎらないでしょう。最終的には、むしろその逆になるのではないでしょうか。ウルリヒ・ベック風に言えば、「われわれは意図せざる帰結の時代を生きている」。ブーメラン効果が帰ってくるというわけです。
むろん、社会に出ればそれなりの「世知」は求められますが、卒業生の皆さんにはそれに妙にすれることなく、初心を保ちつつ、これからもいろいろな本を読んだり、いろいろな人に会ったり、いろいろな場所に行ったりしながら、人間と社会への理解をいっそう深めていってほしいと思います。そして、そうした「無用の用」の意味を理解するきっかけを、この大学生活でつかんでいてくれたなら、密度の濃い付き合いをした一教員としては、望外の喜びです。
ともあれ、皆さんあらためてご卒業おめでとう。まずは心身の健康を第一にしつつ、皆さんの今後の飛躍と活躍を心から祈念しています。
追記
わたしも2年間のコース主任の任期を無事に終えることができて、まずはホッと一安心です。
以下の写真は、社会人間学コースの卒業証書伝達式にて。





