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個人的な備忘録です。本当にいいところでした(サムネイルをクリックすると大きい画像が見られます)。

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 この2月20・21日の2日間にわたって開催された国際シンポジウム「赤ちゃんポストを再考する――日独両国における母子救済の新たな取り組み」(プログラムのPDFファイルはこちら)に、コメンテーターならびに司会者として参加しました。
 私自身はこの問題についての専門的な研究者ではなく、コメンテーターや司会者と言ってもかぎりなく拙いそれで、文字通りただ末席を汚しただけで恐縮するばかりですが、それゆえにかえっていろいろな見解を知ることができ、学ぶところ大でした。とくに今回のシンポでは、先行するドイツにおいて内密出産制度にかかわる連邦家族省行政官のCorinna Bochmannさん、ドイツの赤ちゃんポスト(赤ちゃんドア)の運営にたずさわるミュンスター市のカトリック系福祉団体のMaria Kubeさん、また、日本国内で初めて赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)を設置した熊本市慈恵病院の蓮田太二先生といった、現場で実務に当たられている方々をお招きして現状をお聞きすると同時に、ふだん私があまり触れることのない分野である、医学・法学・福祉学・倫理学の専門家の先生方の議論を聞けたのは、たいへん刺激的な機会でした。
 赤ちゃんポストにかかわる問題についてはいろいろと個人的にも考えるところはありますが、それはまた別の機会に譲るとして、まずはご来場いただいた方々、ご登壇された上記の皆さま、アシスタントの独文専攻トリオ、そしてとりわけ、本シンポの主催にご尽力された同僚のトビアス・バウアー先生に、心より御礼を申し上げたいと思います。

(以下、記事掲載紙の一部)

読売新聞 2016/02/21
http://www.yomiuri.co.jp/local/kumamoto/news/20160220-OYTNT50031.html

西日本新聞 2016/02/21
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto/article/225923


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2日間に渡る卒論発表会、そして2日目夜の茶話会が、終わりました。
運営の責任者としては、無事に終わってまずはホッと一安心です(他の仕事が目白押しですが・・・)。
発表者の4年生の皆さん、まずはお疲れさま。また裏方の3年生のみなさん、本当にありがとう。

茶話会後のゼミ追いコンも、大いに盛り上がり、さらに留学中のゼミ生とビデオ通話でつながり、同期の卒論発表の終了を祝ってくれました。久しぶりの対面に全員興奮、話は尽きず、とても楽しい時間となりました。

ではみなさん有意義な春休みにしてください。
4年生は卒業証書伝達式で会いましょう。


2015soturon01.jpg 卒論発表後の4年生の集合写真

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2015sawakai01.jpg 茶話会の風景

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2015oikon05.jpg ゼミ追いコン


追記 2016/02/20
せっかくなので『卒論発表会 要旨集』の表紙と裏表紙の写真をおまけで載せておきます。
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先日の朝日新聞日曜版『GLOBE』が、「笑いの力」と題する特集を組んでいた。どの記事も面白かったが、なかでも筆頭の次の記事がたいへん目を引いた。

極限状態、それでも笑った/サラエボ―ベオグラード
http://globe.asahi.com/feature/article/2016020400004.html

とくに同記事の後半「笑いで独裁者をぶっとばせ」で紹介されている、セルビアの学生団体「オトポール!」による反政府キャンペーンは秀逸で、当時の大統領スロボダン・ミロシェヴィッチの似顔絵を貼り付けたドラム缶を、ベオグラードの街中に設置(放置)、道行く一般市民が小銭を投入し、一緒に置かれた棍棒でそれをひっぱたくというもの。警察が駆けつけるも誰も逮捕するわけにはいかず、まるで『ミロシェヴィッチ逮捕劇』さながらに、やむを得ずそのドラム缶をパトカーに積んで帰ったのだという。

この学生団体のその後の紆余曲折はさておき、ユーモアによるそうした非暴力運動は、laughter と activism を合成して laughtivism と呼ぶんだそうである。直訳すると「お笑い主義」とか「笑い飛ばし主義」とかになるのだろうか。どうもすぐには良い訳語が思いつかず、我が身の知的貧困ぶりを申し訳なく思うばかり。ただいずれにせよ、おそらく日本語では定訳はまだ存在していないと思う。正確に言うと、そもそも概念としてまだほとんど知られていないのではなかろうか。恥ずかしながらわたしは今回初めて知った。

そして、概念不在の状況が示唆するとおり、そうしたユーモアにもとづく政治活動は、ジャパニーズ・デモクラシーでは、一部例外(たとえば一部の「泡沫」候補の人たち)を除いて、体制派にも反体制派にも往々にして欠けている要素だという気がする。だから、政治運動はいつもみなまなじりを決してばかりで、結果、ヒロイズムやナルシシズム、さもなければ内ゲバに終わってしまい、そのために「普通」の人たちから政治運動は忌避されたり嘲笑されたりするのではないだろうか。政治意識の高低よりも、ユーモア能力の高低についての議論が必要な気がする(運動に関わっている人たちをくさすつもりはまったくないけども)。

昨年の反安保運動などでは、SEALDsなど若い学生たちの新しい活動で、運動のかたちがずいぶんと変わったし、人々の耳目を引くようにもなった。あとはひとつ、せっかくなのでユーモアも取り入れてほしいなと勝手に思う。「○○ヤメロ」の連呼だけで現実を動かすことは少し難しいし、下手すれば世論から余計な反発を受けて、相手方の延命に手を貸すことになるかもしれない。

ちなみに上の「オトポール!」、大規模集会ではなくそうした「お笑い」活動(?)を全国各地で展開することにより、3年間でメンバー数を7万人にまで増やしたという。しかも平均年齢はじつに21歳。これが、政治に無関心の同世代の足を投票所に向けさせ、野党候補の勝利をもたらし、最終的にミロシェヴィッチを退陣に追い込んだのだそうだ。

同記事によると、この学生団体の当時のリーダーであるスルジャ・ポポビッチは、次のように述べているという。「ユーモアに対してまともに反応したら権力者側は馬鹿に映る。反応しなかったら弱虫になる。どっちに転んでも敵に不利なんだ」。

ユーモア溢れる闘いは、多くの人の関心を惹きやすいし、何よりも強い。
ただでさえギスギスした昨今の日本社会。愚にも付かないような正論を吐いて、個人的感情や個人的利益のために同調圧力を強いる人たちが少なくないだけに、なおさらユーモアや笑いがほしいと思う。

以上、またしても何のユーモアもなく、たいへん申しわけない。