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 前期の打ち上げと、この夏からドイツに留学するゼミ生の送別会を兼ねて、ゼミでバーベキューを実施しました。思えば今学期は、平常授業や合宿以外にも、ゼミ生たちが勝手に個々でアクセルを踏んで飛ばしまくり、たとえばゼミ生中数名が単独で、わざわざ熊本から東京まで、安保法制反対で盛り上がる只中の国会議事堂前を「見に」行ったり(これからまだ数名がやはり単独で「見に」行く)、あるいは『映画「立候補」』の登場人物の方々とお話させていただく機会を得てきたりと、教員のほうが驚かされる日々でした。
 今回のバーベキューでも、ウサギを丸焼きにし、ワニの腕肉に食らいつき、マグロの巨大目玉をほじるなど、依然として常軌を逸していましたが、ゼミ生だけでなく、他の専攻や大学院からも似たような「少数派」5名が、エスカルゴなどを持ち寄って飛び入り参加してくれて、みなで肉と臓物を解体しながら、たいへん賑やかに楽しく、話題も四方八方に尽きず、とても意義のある夕べとなりました。
 というわけで、刺激的な前期のゼミが終了し、これから夏にかけて、各人がさらに国内外に旅立ちます。ぜひ充実した夏休み、あるいは留学生活とし、ふたたび元気な顔を見せてほしいと思います。

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スレブレニツァ虐殺20年の式典 セルビア首相に投石も
http://digital.asahi.com/articles/ASH7C3589H7CUHBI013.html?ref=yahoo

日本ではあまり注目されていませんが・・・。
海外のニュースではかなり時間を割いて報道していました。

以前、この地で、生き残りの男性と会ったことがあります。わたしと同じ年くらい。何かつねに妙な焦燥感に駆られているように見受けられました。サラエボなどでも感じますが、見知った相手との過酷な内戦が人びとに与える心的ダメージというのは、ちょっと想像を超えているところがあるように思います。

ちなみにそのときは、集落のほうに出ようと相乗りタクシーに乗ったら、運転手と後部座席の四十代くらいの男性がセルビア人、助手席の老婆がムスリム人で、仰天しました。結局、おたがい他に行き場がないということでしょう。なおそのセルビア人のふたりは、ボスニアにはまったく帰属意識がありませんでした。普通に話していれば気のいい人たちでしたが、年齢的に、あの内戦とどうかかわったのか気になりました。

それにしても、スレブレニッツァは、年々象徴的な意味を増しているような気がします。あのときはサラエボでも「スレブレニッツァを忘れるな」という落書きを2箇所で見掛けました。それより前にはなかったと思います。

2回目にサラエボを訪れたときは、ショッピングセンターなどができていて、良くも悪くも消費主義が人の心を癒やしているようにも見えました。少なくとも、街の雰囲気はずいぶん明るくなっていて、宿のおじさんとも喜び合ったのですが、その反面、若い世代のほうがむしろ他民族(とくにスルプスカ側)とは心理的に分断・反目しているようでした。正直、このまま力で押さえ込めるとは思えません。コソボもそうでしたが。

バルカン全体、とくにセルビア(コソボ含む)とボスニアがEUに入ってしまえば、ある程度問題が緩和する可能性もあると思うのですが、そもそものEU加入へのハードルに譲れない部分があるので、何とか緊張が高まらないことを祈るばかりです。

追記
一昨年度、所属コースの当時の3年生相手のいまは亡き「総合演習」という授業でユーゴ問題を取り上げました。そのときの学生のひとりが、あの授業で興味をもって、昨年1年間のドイツ留学中にサラエボを訪れたというのは、さいきんもっとも嬉しかったことのひとつです。


追記 2015/07/13
Here are The Faces of Thousands Who Died In Srebrenica
http://www.rferl.org/fullinfographics/infographics/27114531.html#


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 長崎県佐世保市にて今年度のゼミ合宿をおこないました。
 周知のように佐世保は、旧日本海軍の鎮守府に代わって戦後は米軍基地が存在し、そこかしこにアメリカが浸透している街。たとえば佐世保バーガーはみなさんご存じでしょう。さらにはハウステンボスもあり、その建設の経緯から近年の破綻と復活に至るまで、紆余曲折ぶりがなかなかに興味深い対象です。こうしたわけで、事前学習で占領期の佐世保の様子を把握し、1968年の米原子力空母エンタープライズの入港や、学生運動など当時の時代背景を理解し、村上龍の『69』『長崎オランダ村』、またエッセイも事前に読み、ハウステンボスについても知識を蓄え、破綻前の園内状況と現在のそれとを地図で照らし合わせるなどもしたうえで、現地でのフィールドワークとなりました(著者のおひとり、明星大学の熊本博之さんからいただいた『米軍基地文化』からも大いに勉強させてもらいました)。
 ゼミ生たちの事前の入念な準備により、合宿中は朝から晩まで本当に密度の濃い時間となり、いろいろなものを見ることができました。米軍ニミッツ・パークでのイベント(基地開放も含めて必ずしも毎年開催ではない)や、第4回アメリカンタウンフェスティバル(イラク戦争などの影響で2003年度から中止となっていた「西海アメリカンフェスティバル」を街中で復活したもの)などの各種イベントが、合宿中に開催されて参加できたのもたいへん運が良かったですが、これもゼミ生たちの努力が引き寄せたものでしょう。また3年生にとっては初めてのゼミ合宿でしたが、よくついてきました。
 ゼミ生7名中、1人が就職活動で参加できなかったのは残念ですが、個性的な面々での道中は、抱腹絶倒で、普段とはまた違った顔を見ることができました。ハウステンボスではフィールドワークに集中するため絶対にひとりで行動しなければならないなどの普通ではないルールも、みな楽しむ力があり、各自で観察したことを持ち寄ってワイワイと、話は尽きず、外国人バーのハシゴとなりました(これももちろんフィールドワークの一環です。ちなみに昼は学習のために佐世保バーガーも食べました)。
 安保法制の問題が取りざたされる昨今ですが、親米であれ反米であれ、そうした分かりやすい相手としてイメージされるアメリカではない、別のアメリカを垣間見ることができたような気がします。また、基地の街としてのひとつのあり方も。ともあれ、佐世保の人たちは本当に親切で気さくであり、道中、いろいろな情報を教えてくれたり、ハプニング時に助けてくれたりと、たいへんお世話になりました。また、海上自衛隊の佐世保資料館でも係の方に詳しく説明していただきました。みなさん本当にありがとうございました。


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