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 先日の記事を、Facebookにシェア(でいいのかな?)してくださった方が大勢いらっしゃり、こんなこと初めてなのでビックリしたのですが、某SNSで友人の某Oさんが紹介してくださったからのようです。システム上、どなたにまたどのようにシェアしていただいたのかは分からないのですが、Oさんならびに拙文をお読みくださった皆様に深く御礼を申し上げます。

 で、そのOさんのタイムラインを拝見したら、「そういうこと〔民主の敗北と自民の勝利〕を予想できた方は少なくなかったと思うのですが、それならデモに対する懐疑心が沸いた時点でもっとその懐疑心を表明しておくべきだったのではないか」というご批判をいただいていました。わたし自身は、このブログでは今年3月11日にチラッと、また7月22日にけっこうハッキリと書いているつもりだったのですが、スイマセン。

 ただ正直、このままだと自民党に揺り戻しがきても当然くらいに思っていました。新聞なんかは、デモが反原発以外のイシューで争わずに右派左派双方がまざっておこなわれていると、やや連帯を強調して書いたりもしていたのですが、どちらの陣営にも多かれ少なかれ反民主党的な側面がありましたし、しかしだからといって左側のほうが政権奪取にまでつながる「革命」をやる気配はありませんでしたし、その一方で経団連なんかが巻き返しを図っていましたし、そもそも民主党のイデオロギーよりも左側の既成政党に日本全国津々浦々の人々が傾くことはないので、このまま膠着すると、行き場を失った世論は自民党に返ってくるくらいしかないだろうなあと。すでにツイッターなんかでも右寄りの意見をよく目にするようになっていましたし。でも、わたしがひとりで合点していただけかもしれません(安倍が党首に返り咲くこと、そしてそれからのあれよあれよの急展開は、いずれにせよ完全に予想外でしたが)。

 弁解ついでに言うと、わたしは筆無精な挙げ句、ぜんぜん政治的な人間ではありません。でも、とくに7月に書いた記事なんかは、あの時点でも、わたしの業界の少なからぬ人たちからは白い目で見られかねないようなものだったと思います。それでもあの時点で何か少しくらい書いておかないと、と思ったのは、上のような認識が頭にあったからでした。自分は研究者という、偉くも何ともないが、ふだんゴロゴロしているぶん斜めからモノを見るくらいの「責任倫理」はあるだろう仕事をしているという、ささやかな思いもありました。

 結果として何もなっていないと言われればそれまでですが。
 ただ、おそらく今回の記事についても、わたしの業界ではあまり快く思わない方のほうが多いのではないかなと思います。じっさいわたしも脊髄反射的に書きましたし。なので、予想外に反応をもらって心底ビックリしていますが、ただこれであとから何かあれば、何の後ろ盾もないわたしは行き場が(ますます?)なくなることでしょう(笑)。でも、SNSなんかで情報を横流しするだけだったり、権力批判という絶対に間違いのない優等生的なポイント稼ぎをするだけよりは、いくらかましかなという気はしています。少なくとも「間違えるリスク」はおかしているぶんは。

 最後、話が大きくそれたかもしれませんが、なんだかそういうことです。
 それはそうと、これで自民党が政権与党になったことで、わたしの郷里やいま住んでいる九州など、地方はますます疲弊していくのではないかと危惧しています。その点で、次の本はとても示唆的なので、ご興味の方はぜひご一読を。はっとさせられると思います。

斎藤淳『自民党長期政権の政治経済学』
自民党長期政権の政治経済学―利益誘導政治の自己矛盾自民党長期政権の政治経済学―利益誘導政治の自己矛盾
(2010/08/12)
斉藤 淳

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 テレビで衆院選の開票作業がつづいているのを横目で眺めているが、民主党が政権与党の座から滑り落ち、自民党が返り咲くことはすでに確実となった。わたしは根っからのノンポリ無党派人間であって、民主党支持者でも自民党支持者でもないが、ちょっと思うところを書いておきたい。

 あらためて考え込んでしまうのは、反原発デモとの関係である。反原発デモが国会議事堂や首相官邸を取り囲んだ結果として、民主党が政権与党の座を明け渡したのは、ある意味で当然の帰結とも言える。東日本大震災と原発事故の前から民主党は支持を失いつつあったとはいえ、あの一連の大規模なデモにより、民意によって打倒されるべき存在、末期的状態との印象が決定的となった。これがとどめの一撃だったように思う。
 しかしだからといって、今回の衆院選での自民党の勝利は、反原発運動にとって望ましい結果であったのだろうか。自民党、とくに現党首(=次期首相)は、明らかに原発維持派である。そもそも、もし原発事故発生当時に自民党が政権与党だったなら、その後の諸々の対応も含めて民主党よりもベターな政治がなされたのだろうか。あくまで想像だが、原発に対する自民党のこれまでの姿勢や経緯、利権やしがらみ、そしてその密室談合型の政治スタイルを考えれば、とてもそうは思えない。だとすると、一時は10万人を超える規模になった反原発デモは、けっきょく何をもたらしたのかという気がしてくる。
 マックス・ヴェーバーは1919年の講演で次のように述べている。

さて、ここにおいでの諸君、十年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、十年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君のうちの多くの人が――正直に言って私もだが――期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないであろう。――これは大いにありうることで、私はそのことを知ってくじけはしないだろうが、もちろん心の重荷にはなる――その時、私としては諸君の中で、今日自分を純粋な「心情倫理家」と感じ、今の革命という陶酔に加わっている人々が、内的な意味でどう「なっているか」、それが知りたいものである。(脇圭平訳『職業としての政治』103-104頁)



 はたして、「革命」は「保守革命」に反転してしまったのだろうか。
 まだ何とも言えないが、しかし、時計の針が戻ってしまった感はぬぐえない。わたしとしては、反原発デモそのものや参加した方々をくさすつもりはまったくない。また、そのときどきで人々をデモに駆り立てるだけの状況があったこともたしかであろう。そもそもデモがなくても民主党は政権を明け渡したかもしれないし、それどころか、大震災や原発事故がなくてもそうだったのかもしれない。なので、デモのせいで民主党が敗北したとは必ずしも思わない。ただあのとき、「立ち上がる市民」を理想化して、ここぞとばかりにはしゃいだ前衛気取りの向きには、懐疑の眼差しを向けざるをえない(いろいろなリスクを負いつつ勇気と覚悟と信念をもって臨んだ人は別として)。というのも、あのようなかたちで民主党政権を批判しつづければ、次の総選挙で自民党の再登板を導く可能性がますます高くなることは、ある程度予想できたからである。それとも、民主党でも自民党でもない理想的な革命的第三極が一気に台頭して、我が意に沿うかたちで「世直し」してくれるとでも思っていたのだろうか。だとすればロマン主義がすぎる。「○○にNoを!」と言い続けるのは(そのフレーズの紋切り型にはいささか食傷気味ではあるが)よいとしても、だが、結果として自分たちが何を後押ししたかはいちど考えるべきであろう。

 デモのできる社会になったというのは(主に大都市にかぎった話だが)、ひとつの功績として残るかもしれない。これは中長期的にも大きな意義をもつ可能性があるとは思う。ただ昨今、反韓・反中等々を掲げる右派市民運動によるデモも同じようにおこなわれている以上、デモという手段が身近になったこと自体は、その点も込みで評価できるというのでないと欺瞞になってしまうようには思える。仮にそれはおくとしても、民主党政権を引きずり下ろした結果、デモへの締め付けの厳しい社会に逆戻りするのではないかという懸念もある。
 そもそも、問題の存在を示して世論の関心を集めるという場合も含め、デモ自体は手段であって目的ではない。あの時点で再稼働等々をめぐり沸騰していたとはいえ、個人的にはあれだけの人数で取り囲むなら、最大のターゲットは、象徴的な意味が先行しがちな国会議事堂や首相官邸よりも、むしろ経団連本部や経産省、あるいは自民党本部などにしたほうが、原発問題の本丸を示すという点ではよかったのではないかと思っている。そもそも民主党は初の政権交代で経験が乏しく、内部でもゴタゴタ続きだった挙げ句に、他党はもとより省庁や財界も含めた複雑な利害政治のなかで未曾有の大災害に対応しなければならない状態だった。政権与党としての責任は重大とはいえ、そんな民主党にすべて何かをやってもらおう(それも短期間で)と期待したり批判したりするよりも、そのしがらみの相対的な少なさを有権者側が後押しして、生かさず殺さず賢く使うくらいのしたたかさがあってもよかった。3年前に民主党が政権を奪取したときの雰囲気を思い返せば、よけいにそんな気がする。

 今回の衆院選の争点は原発問題にかぎられるものではなかったにせよ、いやそれだけになおさら、そのとき目に見える分かりやすいこと以外にも、もっと想像力を働かせて考えてしかるべきだったと思う。むろん、民主党政権の3年間、とくに東日本大震災発生以降の舵取りについては、今後のさらなる検証を待たなければならない。問題点はたしかにかなり多くあっただろう。いずれにせよ今回、世論は、即効性のありそうな万能薬を求めつづけた結果、ふたたび自民党を選んだ。その結果がどのようなものになるかはまだ分からない。杞憂に終わればよいとは思うが、原発問題以外にもいろいろと強烈に右旋回なおまけがついてくる。ただ、そういう選択をしたのは、われわれ有権者の側(どこに投票したのであれ、棄権したのであれ)だということは、忘れてはならない。民主党政権だってもともとわれわれの選択であった。われわれは、政治の消費者ではなく生産者である。だから、政界の側だけでなくわれわれ有権者の側の責任についても、あらためて検証が必要なように思われる。われわれの試行錯誤の過程はまだまだ続くだろうし、何より、たとえ今回の結果の副作用に苦しむことになっても、あるいはヴェーバーの予言したような「反動の時代」がやってきたとしても、それを引き受けるのはわれわれ以外にないのだから。

 丸山眞男の「政治的判断」と題した講演録がある。もとは1958年5月に信濃教育会上高井教育会総会でおこなった講演だそうで、同会『信濃教育』1958年7月号に掲載された(その後、多少の加筆修正を施されて『丸山眞男集』に再録された)。
 混迷気味の衆院選が目前に迫るいま、この講演はいろいろと示唆的で、一部の表現をのぞけばごく最近のものではないかと錯覚するくらいである。たとえば、二大政党制の自己目的化に対する批判、全体状況を判断する(いわゆるバッファープレイヤーとしての)投票行動の可能性、革新政党による保守感覚の動員の必要性、政局の安定化と政治の安定化(ひいては国民生活の安定化)との違い、などなど。
 解説するのはあまり好きではなく、得意でもないので、興味のある方にはぜひご一読いただくとして、ただ、次の文章だけは紹介しておきたい(以下は平凡社ライブラリーの『丸山眞男セレクション』〔2010〕所収の同講演より抜粋した)。

大衆運動のゆきすぎというものがもしあるとすれば、それを是正していく道はどういう道か。それは大衆をもっと大衆運動に成熟させる以外にない。つまり、大衆が大衆の経験を通じて、自分の経験から、失敗から学んでいくという展望です。そうでなければ権力で押さえつけて大衆を無権利にするという以外には基本的ないき方はない。つまり大衆の自己訓練能力、つまり経験から学んで、自分自身のやり方を修正していく――そういう能力が大衆にあることを認めるか認めないか、これが究極において民主化の価値を認めるか認めないかの分れ目です。つまり現実の大衆を美化するのでなくて、大衆の権利行使、その中でのゆきすぎ、錯誤、混乱を十分認める。しかしまさにそういう錯誤を通じて大衆が学び成長するプロセスを信じる。そういう過誤自身が大衆を政治的に教育していく意味をもつ。これがつまり、他の政治形態にはないデモクラシーがもつ大きな特色であります。他の政治形態の下においては、民衆が政治的訓練をうけるチャンスがないわけでありますから、民衆が政治的に成熟しないといってなげいても、ではいつになったら成熟するのか、民主的参加のチャンスを与えて政治的成熟を伸していくという以外にない。つまり、民主主義自身が運動でありプロセスであるということ。こういう、ものの考え方がまた政治的思考法の非常に大きな条件になってくるわけであります。/つまり、抽象的に、二分法で考えないで、すべてそれを移行の過程としてみるわけで、その意味でデモクラシー自身が、いわば「過程の哲学」のうえに立っております。(丸山眞男「政治的判断」杉田敦編『丸山眞男セレクション』384-385頁)



 楽観的すぎるとか、学者然とした物言いだとか、いろいろ批判は可能かもしれないが、われわれは結局、こうした「過程の哲学」としての民主主義のなかで、試行錯誤しながらやっていくしかない。同講演の別の箇所で丸山が言うように、政府がよい政策をやってくれるものだという前提で、そういう政治こそがベストの選択だとする考え方は、たやすく政治への幻滅や失望に転化する。
 さて今回はどうだろうか。一足飛びの問題解決を政治に過度に期待しては裏切られ、という繰り返しから、そろそろ少しは前に進みたい。だから、どこの政党が勝つのか、ということ自体は、もはや本質的には重要ではないような気さえする。山積する難題の前で、試されているのは、ほかでもないわれわれの成長度合いなのである。

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)
(2010/04/10)
丸山 眞男

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