2010年5月30日(日)の朝日新聞で、團紀彦(だんのりひこ)さんという建築家の方の談話が載っていました。この方のお仕事を存じ上げているわけではないんですが、「自己ブランド化は虚しい」というご意見が印象的だったので、書き留めておきます。
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……さらに私が懸念しているのは、建築家を始め、多くの作り手が欧米の雑誌とかメディアに取り上げられるのを終着点としていることです。うまく自分をブランディング〔自己ブランド化〕して、流れに乗っていこうとしている。そんな注目のされ方にあこがれると、いつも人からどんなふうに評価されるかと上目遣いになっていく。そんな仕事は決して尊敬を集めないのですが。
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日本の社会学の業界も多かれ少なかれ、似たような状況の気がします。相手が誰かはいろいろでしょうが、上目遣いの人は概して多く、そしてそのような人に対して、誤った拍手をおくる人も少なくありません。誤った拍手をおくる人自身も、おそらく上目遣いでしょう。科学(あえて「科学」と言いたいですが)としての確たる中身のない仕事にむやみに拍手する人は、相手に取り入って、自分も褒めてもらいたいだけなのかもしれません。
ですが、学術的価値に裏打ちされていない、そうした内輪での(肩書き頼みの)自己ブランド化は、分かっている人からすれば、文字どおりの空虚でしかないように思います。あるいはもしかすると、自分の業績に学術的価値が乏しいからこそ、そうした自己ブランド化に頼らざるをえないのかもしれません。だとすれば、やはり虚しいことです。
筋違いのむやみな批判や非難は科学の発展にとって有害ですが、その逆もまた同様でしょう。社会学もそのあたり、そろそろ反省的になるべきだと思います。