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かつてバブル末期、織田裕二主演で『就職戦線異状なし』という映画が公開されましたが、面白いことにいま、忽那汐里という若い女優がプレカリアート研究会のリーダーの女子大生役をつとめる『就活戦線異状あり』というドラマがあるそうです。下記公式サイトのメインページで観られる予告編だけでも十分に面白いです。

LISMOオリジナルドラマ:就活戦線異状あり(音声注意)
http://lismo-drama.jp/

いくつかの担当授業では、新自由主義やグローバリズム、非正規雇用や格差社会などの問題に言及することが多く、就職活動が厳しさを増す昨今、学生たちにとってリアルすぎて人ごとではありません。これらの諸問題は、社会のずっと上の世代にいる一般の人たちも実態をもっと正確に把握し理解しないと、最終的にはおたがいに共倒れになるでしょう。

その意味ではこのドラマ、来たる5月3日から配信開始なのだそうですが、こんなにタイムリーな社会問題を踏まえたテーマなのに、一般のテレビ放送でないのがきわめて残念です。あるいは、内定切りをするかもしれない諸々の企業がスポンサーの手前、タイムリーすぎて逆に普通には放送できないのかもしれませんが。

ドラマの詳しい内容は下記のとおり(MSNエンタメ記事より抜粋

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新ドラマ「就活戦線異状あり」の舞台は、金融危機で世界恐慌にあえぐ現代。忽那は、現代社会のあり方に疑問を抱き、非正規雇用者や、失業者たちの現実との向き合い方を研究するプレカリアート研究会のリーダーを務める女子大生・玲奈を演じる。就職の時期が訪れ、面接を受けに行く玲奈たちメンバーだが、真の目的は就職することではなく、面接の場で暴利をむさぼる企業を批判すること。偶然にも内定をもらってしまった玲奈は自分の素直な心の内を打ち明けるべく、内定した会社役員を呼び出すが……という現代社会を描いたストーリー。


現象学の祖であるエドムント・フッサールが、『デカルト的省察』の序論で当時の哲学の状況を憂えている部分があるのですが、そのうちの「哲学」という単語を「社会学」に置き換えてみると、そのままズバリ、いまの社会学の現状を表しているようで面白いです。ちょっと長いですが試してみましょう(浜渦辰二訳を使用)。

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現代の社会学は分裂状態にあり、途方に暮れてせかせか動き回っているということについて、考えてみなければならない。……今日私たちが持っているのは、統一をもった生き生きとした社会学ではなく、際限なく広がり、ほとんど連関のなくなってしまった社会学文献の山である。私たちが目にしているのは、相反する理論が真剣に対決しながら、それでもこの対立においてそれらの内的な連関が示され、根本的確信のうちに共通性が示され、真の社会学への惑わされることのない信頼が現れる、という事態ではない。真剣にともに社会学し、互いのために社会学するのではなく、見せかけの報告と見せかけの批判の応酬でしかない。そこには、真剣な協働作業と客観的に通用する成果を目指すという精神をもった、責任感ある相互的な研究というものがまったく見られない。客観的に通用するとは、相互批判によって精錬され、どんな批判にも耐えられるような成果のことにほかならない。しかしながら、このように社会学者の数だけ多くの社会学があるなかで、本当の研究、本当の協働作業はどのようにして可能であろうか。なるほど、今でも多くの社会学の会議が開催されている。そこには社会学者達は集まるが、残念ながら社会学は集まらない。彼らには、それぞれが互いのためにあり、互いに働きかけあうことができるような、精神的な空間の統一が欠けている。個々の「学派」や「潮流」の内部では、事態はまだましなのかもしれないが、彼らの孤立したあり方や、社会学の全体的状況に関しては、本質的には、私がいま特徴づけたような状態にとどまっているのだ。

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社会学者の数だけ社会学があるのは問題ではありません。それは社会学が、ひとつの社会システムとして複雑化し進化してきた証だと考えれば、肯定的に捉えられるべきでしょう。しかしだからこそ、複雑化した社会学という学科の統一性を確保し、別々の領域の社会学者たちもたがいに真に議論しあえるための共有すべき枠組がいかなるものかを検討することが、以前にも増して必要だと感じます。

集うべきは、社会学者ではなく、社会学なのです。



1冊100円の書籍スキャンサービスがあるんだそうです。

BOOKSCAN
http://www.bookscan.co.jp/

iPadやKindleにも対応しているそうですし、プラス100円で書籍内検索が可能になるOCRオプションもつけられるんだそうです。スキャンのためには書籍を裁断しなければならないので、本棚に余裕があるかぎりは、手持ちの書籍をあえて電子化する必要はいまのところありませんが、研究上、ドキュメントのなかから特定の単語を拾わなければならないなどのばあいには、自分でスキャンするよりも手間もコストも省けますし、今後利用する機会もあるでしょう。

それにしても、これまで個人的にはあまり興味のなかった電子書籍ですが、いまや人ごとではありません。まもなくiPadも発売されますし、日本の現状では、マンガなどは一気に電子化が進んでいくように思います。出版社によってはとうにパソコン上でマンガの試し読みができるページを設けているところもあって、覗いてみたことがありますが、意外に違和感なく読めました。部屋にいながら安価に好きなコミックを安くダウンロードして読めるなら、本屋やマンガ喫茶は商売あがったりでしょう。

わたしは紙の本は好きですが、電子書籍に否定的なわけではないので、ノスタルジーに浸るつもりはありませんが、小学生くらいの子どもが、本であれマンガであれ、みずから活字に接近しまたその世界を広げるのは、なんと言っても立ち読みやチラ見のできる街の本屋さんですから、電子書籍の広がりによって街から本屋さんが姿を消したときにどうなるかは、少し心配しないわけではありませんし、一抹の寂しさがあるのも事実です。また、悪い冗談みたいなことを言えば、マンガ喫茶がなくなればそれこそネカフェ難民は完全漂流かもしれません。

それはともかくとしても、電子書籍の普及によって、利便性が高くなり価格も下がるのであればたしかに「消費者」的には言うことなしで、とくに学術書のような部数の少ない専門的な書籍については、研究者にも出版社にも購入者にもそれなりにメリットは大きいでしょう。ただ、とにかく作ってとにかく出すというようなここ数年来の出版業界の状況以上に、本の乱売が加速するのではとの危惧もあります。じっくり一冊の本を時間を掛けて読む、といった行為もなくなるかもしれません。結果として、研究の成果が質より量で問われることになって粗製濫造に陥らなければ、と願うばかりです。



Profile下の「担当授業」に新年度分を追加しました。
もう春。近所の公園では桜が満開でした。