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イギリスの哲学者、ロビン・G・コリングウッドによれば、

どんな科学分野でも、
人が初心者であることをやめてその分野の達人になるのは、
自分は一生初心者のままだと知ったときである。


さいきんとみに、自分は社会学のごく狭い分野でもまったくの初心者だと痛感させられます。でもこれは、まさに自分がどれくらい無知であるかを以前以上に深く理解できるようになったということなのかもしれません。つまり、自分に学問上の進歩があったからこそ、その先の地平の奥行きの深さが身にしみて分かるようになったということなのだと思います。今後、研究が進展すればするほど、無知の部分がどのくらいあるかがますますはっきりと分かってきて、自分がいつまでも初心者であることをいっそう痛感することになるでしょう。その意味では、ここにきてようやく自分も、達人の領域、そして終わることのない初心者の領域に足を踏み入れつつあるのかもしれません。

経験上、わたしは、何でもすでに知っていたかのように答えを与える人が、思想に対する深い理解を有しているとは信じていません。たとえ、比較的評価の確定している分かりやすい部分だけは知識として知っていても、そこにどのような未解決あるいは未発見の問題があるかは、たいがい分かっていないか、せいぜいでもお茶を濁してやりすごしているものです。だからそうした人は、自分に都合のよい概念を自分に都合よく組み合わせて、いろんなことをしたり顔で万能的に説明しがちです。でもそれでは、学問の達人というよりは、捏造の達人でしょう。


現象学の始祖であるエドムント・フッサールも、自分のことを「本当の初心者」と評していました。答えを与えることのできる人ではなく、問題を立てることのできる人だけが、学問の達人と呼ばれるに値すると思います。